信じても苦しい人へ 神から始まる新しい「自分」第5回 賜物=できること?

中村穣 (なかむら・じょう)
2009年、米国のウエスレー神学大学院卒業。帰国後、上野の森キリスト教会で宣教主事として奉仕。
2014年、埼玉県飯能市に移住。飯能の山キリスト教会を立ち上げる。2016年に教会カフェを始める。
現在、聖望学園で聖書を教えつつ、上野公園でホームレス伝道を続けている。

イエス様と出会い、新しい人生を歩む中で、「自分には何ができるだろう?」と思うことがあります。
キャンプに行って恵まれた後や、これからは主に仕えようと思うとき、自分にはどんな“賜物”があるだろうかと考えます。また、人には賜物があると言うけれど、賜物って何だろうと悩んだりします。
アメリカの神学校で学んでいたとき、あることに気づきました。日本語で「賜物が用いられる」と考えるとき、「私がどう賜物を用いるか」と考えている自分に気づいたのです。日本語は主語が省略されることが多いので「賜物が用いられる」で通じます。この文の主語は何でしょう?
私はいつの間にか、この文の主語が自分になっていました。そうすると何だか、どうにかして自分で賜物を用いなくてはいけないと、必死で道を探して苦しくなっていました。しかし英語でこの文を考えたときに、はっと気づいたのです。主語が必要な英語では、この文の主語が神様であることに。
日本語では主語(神様)が見えないので、自分でどうにかしなくてはいけないと感じていましたが、私たちはどうやって自分の賜物を用いるかを考えるのではなく、賜物を用いてくださる神様のもとに、信仰をもって進んでいけばいいのです。主が賜物だけではなく、賜物をもつ私をも用いてくださるのですから。

少し私の証しをさせていただきます。私は放蕩息子でした。生まれつき左手の指がないことで、自分は人よりも劣っているとずっと思って生きていました。劣等感で心を閉ざし、孤独に生きてきました。学校ではいじめにあい、居場所をいつも探していました。
もう死んでしまいたいと思うようになり、日本にいたら自分が壊れてしまうと感じ、十八歳の時にアメリカに家出する計画を立てました。誰も知らない場所に行けば、新しい自分になれると思っていたのです。
しかし、場所が変わっても何も変わりませんでした。言葉もわからず、文化も違う社会で、より一層苦しくなりました。
そんなとき、アメリカで一人の日本人牧師に出会います。私の生涯の恩師になる方に出会ったのです。その方は無鉄砲な私を、何も言わずに面倒を見てくれました。
あるとき、私が警察沙汰になる事件を起こしてしまったのですが、それでも私をあきらめずに、そばに置いてくれ、いつも祈ってくださいました。私が死にたいという思いを伝えたとき、恩師は私にこう言いました。
「おまえの中に希望がないのはわかった。おまえは人生を遠回りしてきた。将来、今のおまえみたいに苦しんでいる人と出会うだろう。その時に、その人を救えるのは遠回りをしてきたおまえだけだ。だから、将来出会うその人のために生きなさい。おまえの経験した苦しみは人のためにあるのだから。それが十字架にある希望だ」
私はこの言葉を聞いたときに、初めて心に平安を感じました。人のために生きるという目的がわかったということではありません。その当時の私にそんな思いが全くなかったのは、自分が一番よくわかっています。このとき、私は自分の存在が初めて肯定されたと感じたのです。恩師を通して、神様が私を呼んでくださっていることがわかったのです。「私」が私の外から始まった瞬間でした。神様から自分が始まったのです。

「賜物=できること」となっているのであれば、それは捨てるべきです。なぜなら、できることをするだけでは神様の愛は伝わらないからです。そして、それはあなたに達成感しか残さず、本当の意味での平安を与えないので、結果的に自分を苦しめることになります。
しかし、主の十字架から始まる平安には、私を超える力強さと、人を素直に押し出す力があります。死ぬことしか考えられなかった私でしたが、神様は何もない私から、「私」を始めてくださったのです。
ですから、「賜物を用いる」という言葉は少し違うように感じます。もし、あなたが自分の賜物を自分のものとして用いようとしているなら、もし、その先にある神様の計画を見ることができないのなら、本当の意味で賜物は活かされません。
賜物は主の十字架の前に置く必要があります。私が賜物を活かすのではなく、主が賜物を用いてくださるからです。
私たちの人生も同様です。私が始めるのではなく、神様の前にまずは自分を置くところから始まるのです。

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