連載 リラ結成30年 いつまでも賛美をこの口に 第5回 その右の手は 小山 晶子

LYRE(リラ)
1993年に東京基督教大学の神学生たちによって結成された賛美グループ。卒業後、コンサート活動をしながら、6人のメンバーは各々のところへ遣わされ、主のみわざに励んでいる。

 

命の期限は何の前触れもなく襲ってきた。
新型コロナのいわゆる第二波と呼ばれていた頃。誰もが外出を控え、マスクと消毒液を買い求める人々が開店前からドラッグストアに並ぶという異常事態。牧師である夫は感染対策を徹底し、教会員と共に隅々まで除菌、除菌。公共の乗り物も避け、息子たちにもそれをできる限り求めた。
しかしそんな中、家族が次々に体調を崩しはじめた。コロナではないだろうと思いたかったが不安は募った。夫は次第に咳込むようになり、夫婦で数日先のコロナ検査を受けることとなった。検査の前日には、夫は一日中激しく咳込むようになっていた。夜も眠れず、主よ癒やしてくださいと祈りながら背中を幾度となくさすった。
血中酸素濃度を測ってみてはどうだろうと思い、測定すると、警告音とともに八十六%という数字が表示された。かかりつけ医に連絡し、状況を伝えると、検査を受けた足で病院に来るよう指示された。撮影したレントゲンの画像は、素人の私でもわかるほど両肺が真っ白だった。
夫は中等症専門の病院に運ばれ様々な検査を受けた。やはり新型コロナだった。日付が変わる頃、酸素マスクをつけた夫は繭のような袋に入れられ、救急車で別棟に運ばれていった。二度の検査で陰性となるまで出てこられないことなどの説明の後、私は家に帰った。
しかし数時間後、電話が鳴る。看護師長からだった。いくら酸素を入れても身体に入っていかない危険な状態だから重症患者対応の病院に転院させるという内容だった。重度の糖尿病になっていることもこの時告げられた。まさに血の気が引いた瞬間だった。「これが夢だったらいいのに……」。ドラマのセリフのような言葉だけが頭の中をぐるぐる回る。
私はフラフラと礼拝堂のピアノの前に座ると、リラの楽譜を手に取りページをめくった。TCU(東京基督教大学)在学中、悲しいことや悩みがあると私はよく大教室のピアノを弾きながら賛美していた。その中で神様はいつも回復させてくださった。その頃の自分を思い出しながらちょうど目にとまった曲を弾き始めた。それがこの「その右の手は」だった。
暗く塞いだ気持ちで歌い始めたが、この賛美を歌い進める中で不思議と元気が出てきた。ふと気がつくと、長男と次男が一緒にピアノのそばで賛美している。当時、次男は反抗期。でも、一緒に賛美している。大丈夫、神様はすべてを益にしてくださる。歌い終わる頃にはその確信の中で喜びが溢れていた。
あれから四年。夫は多くの方々の祈りに支えられ、ここにいる。主の右の手に、守られながら。

 

その右の手は
詞/曲  塚田 献

誰も知らない明日に
まだ歩いてない道に
主イエスは
ともにいると答えて
私を進ませる

ここにいることの意味も
もう忘れてしまうほど
恐れの中で息を潜めて
立ちすくんだ日々もある

暗闇に聞こえる声が
私の光となる
恐れるな たじろぐな
わたしがあなたの神だから

その右手は
私を守る とこしえの腕
主の右手は
私を助け 私を運ぶ

いまよりとこしえまでも
恐れなく歩む道に
生かすために
© Sasagu Tsukada