あたたかい生命と温かいいのち 第二回 ともに前進していく希望

福井 生
1966年滋賀県にある知能に重い障がいを持つ人たちの家「止揚学園」に生まれる。生まれたときから知能に重い障がいを持つ子どもたちとともに育つ。同志社大学神学部卒業後、出版社に勤務。しかし、子どものころから一緒だった仲間たちがいつも頭から離れず、1992年に止揚学園に職員として戻ってくる。2015年より園長となる。

私が生まれたときから、ともに生活している止揚学園の知能に重い障がいを持つ仲間たちの中には、言葉を話すことが難しい人や、一点だけを見つめ、話しかけても目と目を合わせることが難しい人がいます。
学園を見学に来られたお客様がよくこんな質問をされます。「この人たちと関係を結ぶにはどうしたらよいのですか」と。私は、知能に重い障がいを持つ人たちとの「ともに」の生き方を真剣に考えてくださる方々に感謝し、そのために、少しでもお役に立ちたいとお話しします。「息をし、心臓が鼓動を刻み続けているだけで生きているのではありません。一人一人に温かい心があり、お互いの温かさを感じることで、心と心でつながることができるのです。」
そう言うと大体の方は、分かったような、あるいは、だからその心のつなげ方を教えてほしいのですと困惑したような表情をされます。私はそのつど、分かりやすい説明には程遠いのですが、一生懸命、話しを続けます。
では障がいを持っていないとされる私たちは、聞こえる言葉を通して、あるいはメールを送信し合うことで、心と心をつなげられているのでしょうか。つまり、人と人とが心と心で理解し合うことの難しさは、言葉で会話できる私たちが一番よく知っているはずなのです。それと同じように、止揚学園の仲間たちのこともマニュアルがあるわけではありません。この答えが正解というものはないのかもしれません。でも、このことで消沈し諦めようとはしません。日々の中で、仲間たちがその答えに向かって導いてくれるからです。
仲間の陽菜さんは呑気症という病気を持っています。この病気は息をたくさん吸い込みすぎて、お腹が張ってしまう病気です。楽しいことをすると興奮し、たくさん息を吸ってしまいます。喜べば喜ぶほど笑顔も膨らみますが、お腹も大きくなっていくのです。それに加えて陽菜さんは、腸の働きが弱く、すぐに腸閉塞を起こしてしまいます。空気がお腹や腸にたまったままで外に出ないと激痛に苦しみ、すぐに病院へ通院し、おしりから管を入れて空気を抜き出してもらわなければいけません。このような陽菜さんとどのようにして日々を過ごしていくのか、私たちの課題です。陽菜さんの笑顔を保ちつつ、それでも興奮をできるだけ抑えなければならないのです。病院にそのつど通院していたのでは陽菜さんの身体に負担をかけることにもなるのです。
冬の寒さは、腸の働きを弱めます。陽菜さんにとってよい条件ではありません。一日をどのように過ごすか、食事はどんな物がよいか、排尿便の状態はどうか、いつも陽菜さんのことを皆で相談します。少しでも身体を動かしたほうがよいので、十分に温かい服装をして、職員の松田さんは陽菜さんと毎朝一緒に散歩します。二人の口からは、白い息が上がります。道行く人たちに出会うと、お互いに「おはようございます」と元気な声が響きます。野原の上を歩くと、この寒い冬、凍った地面の霜を踏むたびに「サクッ、サクッ」と音がするのです。
ある日「この音がするたびに陽菜さんがうれしそうな顔をするのです。そのときは空気を飲み込みすぎることなく、笑顔がいつまでも続くのです」と、一緒に歩く松田さんはうれしそうに、さらにその音について発見したことを話します。「私は、陽菜さんと一緒に歩きながらこのサクッ、サクッという音はものすごく優しい力を持っていて、陽菜さんの腸に、とてもよい影響を及ぼしているような気がするのです。」 松田さんの発見が正しいのかどうかは分かりません。それでも私はそこに祈りを感じるのです。(この踏みしめる音がどうか陽菜さんの腸に優しく響き、よい作用を与えてくれますように)と、生命を守ろうとする松田さんの祈りを感じるのです。
サクッ、サクッ、という音と、そのたびに湧き出る陽菜さんの笑顔、そして、祈り。だれも目に見える言葉を気にしていません。今を生かされている喜びが二人を包んでいるだけです。そして、このことで、ともに前進していく希望が芽生えたのなら、陽菜さんと、松田さんの心と心はつながっているのです。障がいがある人、ない人と、つき合い方を思い煩う前に、すべての人に優しい気持ちをどんなときも諦めずに持ち続けようと、日々を歩いていくのです。
仲間たちとの日々の中で、目と目が合わないときがあります。それでもふと顔を向けたとき、ほんの一瞬なのですが、確かに笑顔が合わさる瞬間があります。そこに煩いはありません。優しい気持ちだけです。
そして、そのときこそがすべてです。私たちは心と心のつながりに、喜びで満ちあふれるのです。