連載 グレーの中を泳ぐ 第5回 まさかの(?!)結婚

髙畠恵子
救世軍神田小隊士官(牧師)。東北大学大学院文学研究科実践宗教学寄附講座修了。一男三女の母。salvoがん哲学カフェ代表。趣味は刺し子。

 

死にたかった時も、がんになった時も、イエス様はそこにいた

 

心療内科にかかっていた頃、クリスチャンのある精神科医が忙しい中時間を割き、私と話してくれたことがありました。その先生に紹介してもらって入院した病院の主治医もやはりクリスチャンでした。それらの先生を通して、クリスチャン医師はやはりどこか違うと感じた私は、多忙を極める先生方のカバン持ちをしたいと思うようになりました。そこで医療秘書の専門学校に入学することにしました。
専門学校の二年生の時、かつて滞在したバンクーバーのホストファミリーを訪ねました。当時と変わらない大きな愛で迎えてくださったパパとママは、当時二十五歳の私がまだ結婚していないことを案じ、滞在中、ママは「ケイコ、心配いらない。あなたの夫になる人はもうこの星の下にいるのよ」、パパは「バンクーバーでウェディングドレスを作っていきなさい」と言い始めました。私は、「そんな人、影も形もないのに」と笑って聞いていました。
ところが、帰国して待っていたのは後に夫となる人との縁談だったのです。かつて両親が奉仕していた教会の方の紹介でした。この星の下に確かにいたし、ウェディングドレスも作ればよかったと思いました。パパとママが本当に祈り励ましてくれた一方で、実の両親といえば、私が一生結婚できないと思っていたらしく生涯自分たちの責任として面倒を見る覚悟をしていたようです。どちらも愛の形なんだなと思いました。
夫の家族は聖公会の信徒でしたが、夫はクリスチャンではありませんでした。救世軍は禁酒禁煙ですが、夫は呑んべえのヘビースモーカーでした。私にはそれが教会からほどよく離れるのに「ちょうど良い感じの人」に思えました。しかも美術の教員という安定した職業に就いていました。
夫はというと、私が牧師の娘であるとかクリスチャンであるとか、常識からズレやすいとか、丈夫な体ではないといったことは気にせず、「恵子さんという女性に惹かれたから結婚したいと思った」と言ってくれました。じゃ、結婚しようと、本当に勢いで、出会って二回目に結婚を決めるという超スピード婚でした。
ただ、私は一つの事が心にかかっていました。それは「もしこの人と結婚したら、本当に牧師にはならない人生になる。それで後悔はないのか」ということについて、神様と対峙していないことでした。結婚すれば父母を離れ、私の人生がスタートします。あんなにも望んでいた「普通」の人生でしたが、いざとなると「召命」「献身」はどうなるのか、それが最も気がかりだったのです。
そこで「もしこの結婚があなたの御心でないなら、『結婚の誓約』の瞬間でもいいので道を閉じてください。何も起こらなかったら結婚しますが、その後『献身・召命』に対峙することになったら、その時こそは従います」と、今度は私が誓いました。結局、結婚式でも何も起きず私たちは結婚しました。
新婚生活は長野県下伊那郡の教員住宅でスタートしました。日曜日は私を教会に送るのが幸せだからと、夫が送迎してくれました。礼拝にも一緒に出ましたが、とにかく夫は教会生活が初めてですから「献金はいくら払うの?」と聞いたりしました。私は「払う」ということばにカンカンに怒ってしまいましたが、私には当たり前のことばや習慣でも、初めての人にとってはわからないことだらけなんだと気づきました。
結婚当初、教会がない町に嫁ぐことを案じる人もいました。県庁所在地の大きな町ばかりで育った私でしたが、その町では、日中に我が家の周辺をぐるっと散歩しても、会う人は一人か二人。夫は朝に家を出たら帰宅は夜。月曜から土曜までほぼ一人となると「人間と話したい」と思いました。牧師家庭の実家では両親がいつも牧師宅か教会にいたので、こういう生活もあるんだ、と初めて知りました。
夫はノンクリスチャンだとわかっていて結婚したものの、生活を始めるとたくさんの価値観の違いに気づき、それらをすり合わせるには信仰の力が必要だと感じました。一方で、夫の性格からすると、もし信仰をもったら熱心になるのではないかと、喜びより心配のほうが大きくなりました。何よりも、例の「献身」の約束が本当になったらどうしようと思ったのです。
私のそんな心配をよそに、夫は最初、「神を信じたら天国に行けるのなら、僕は死ぬ前日に信じるよ」などと言っていました。さすがにそれにはあせって、「明日死ぬってわからないでしょ。だからもう少し早いほうがいいよ」と答えました。