特集 2023 クリスチャン・ブック・アワード受賞 フィリップ・ヤンシー 信仰者の痛みに寄り添って

フィリップ・ヤンシー(1949年~)。クリスチャン・ジャーナリスト。キリスト教信仰書の書き手の中で最も有名な人物のひとり。その著作は、世界で2000万部の売上部数を誇る。米国のクリスチャン雑誌『クリスチャニティ・トゥデイ』の編集顧問を務める。写真は妻のジャネットさんと。

 

『痛むキリスト者とともに』『神に失望したとき』『消え去らない疑問』(いずれもいのちのことば社)など、クリスチャンが大なり小なり、もしくは無意識に持つであろう「痛み」について著してきたヤンシー氏。昨年出版された自伝『光の注がれた場所』でその半生を綴っている。
宣教地に赴く準備をする両親のもとに生まれ、一歳の時に父を病で亡くす。米国南部の律法主義や人種差別主義が色濃く残る教会で育った。母が聖書を教え生計をたて、トレーラーハウスで過ごした貧しい時期も……。両親が断念せざるを得なかった宣教師になることを過度に期待され、敬虔なクリスチャンを演じていたヤンシー氏こそが「痛む信仰者」であった。それでもバイブルカレッジの四年生のとき、イエスに出会い、神の「恵み」を知る。一方、同じ環境で育っても神から離れ、ドラックに依存し、そして精神的な病にも苛まれた兄は、母からの「呪縛」の言葉を赦せずにいる。
本特集では、自伝出版のその後、主に病床にいた母の様子や母と兄との関係について綴られたヤンシー氏のブログとともに、「痛み」と「苦しみ」について考察を続けながら、「痛み」を覚える人々の元に赴き、「痛む人々」に寄り添う彼の姿を紹介したい。

 

『光の注がれた場所』その後
「悲嘆の叫び」
フィリップ・ヤンシー氏ブログより抄訳(翻訳・山下章子)

 

二○二三年五月二九日付
十五年にわたり心を込めて高齢の母を世話してくれたのは、北ジョージアのジョンソン家の人々だ。私は出版カンファレンスの日程に合わせて母に会いに行くつもりでいたが、ホスピスの職員に予定を早めるよう促された。「お母様は九十九歳の誕生日を迎えられないかもしれません。いつ息を引き取られてもおかしくありません。」
母の意識は薄れたり戻ったりを繰り返していた。心が痛み出した。
私は父を知らずに育った。父は私が一歳一か月のときに二十三歳で亡くなった。そのときの母の置かれた状況を考えた。結婚後わずか三年。職業訓練も受けないまま、幼い息子二人を抱えた未亡人。私と兄は窮乏生活を送るシングルマザーに育てられた。
四十年経つまで自伝を書かなかったのは、母の秘密を暴くことになるのが明らかだったからだ。外部の人たちがもつ母のイメージと、私と兄のもつそれとの間には大きな隔たりがあった。母は子育てについて奇妙な考えをもち、たびたび抑うつの発作を起こしたり、怒りを爆発させたりした。今にしてわかるのだが、母は悲嘆の叫びの表し方を知らなかったのだ。神に対して失望や怒りを表明することを、母の神学は許さなかった。
母の枕元に何時間も静かに座っていた。最初の数日間、母の意識は明瞭で、簡単な会話ができたが、考え事をしながら枕に頭をもたせて眠ってしまうことも多かった。「言いたいことが三つあるのよ。」体を屈めて聞き耳を立てたが、母の意識は遠のき、その三つを聞くことはできなかった。ある日は体を起こして、「なぜこんな思いをしなければならないの」と言い、九十九歳を迎えた日には、「ここまで生きたわ」と言った。
一方で幻覚を見ることもあり、「赤毛でそばかすの小さな友だち」のことをつぶやいた。ときどき百二歳で亡くなった自分の母親を「ママ!」と叫び求めた。だが次第に言葉を発しなくなった。
ジョージアに着いて間もなく、母の部屋のすぐ外で私がピアノを弾き、ジャネットとジョンソン家の人々が賛美歌を歌った。意識が全くないように見えても、額の皺が目に見えて薄らいだ。ホスピスの職員が言った。「五感の中で聴覚はいちばん最後まで残ります。だから聞こえているかわからなくても、声をかけ続けてください。」
無反応の状態が数日続いた後で看護師が言った。「重要臓器が働かなくなっても、お母様は必死に生きようとしています。この世を去る前に声を聞きたい方がいるのではありませんか―関係を修復していない方とか?」
その通りだ。母が兄にかけた「呪縛」のことを自伝に書いた。兄はその呪縛から解放されずに生きてきた。私の結婚披露宴で、息子さんたちも交えて写真を撮りましょうとカメラマンが言うと、母は拒んで会場から出て行ったほどだ。私は時間をかけて母と良好な関係を築いたが、兄と母はそうならなかった。
自伝の執筆を何十年も遅らせ、私たち家族の秘密は守られた。だが秘密を露にしたとき、驚くべきことが起きた。本の原稿を送った後、九十代後半に入った母が、兄と私と三人、電話で話せないかしらと言ったのだ。兄は承諾した。母が長男の声を聞くのは、実に五十有余年ぶりだった。
三人で四回話をした。和解に至ることはなかったが、毎回少しずつ緊張が解かれていった。母が口を開くと説教になり、兄はたいてい一言だけ返した。そんな中、突然兄から母にカードが届いた。一行だけ書かれていた。「母さんを赦すよ。」
母への賛辞がソーシャルメディアに多数投稿されていた。母は勉学に熱心な働き者の聖書の教師で、影響を与えた多くの人々から愛情と感謝の言葉を贈られていた。自伝を書きながら、母の特筆すべき人生の旅に深い尊敬の念を抱くようになった。まともな愛情を受けずに育った若き未亡人が、大きな悲しみを抱えたり、機能不全の家庭で育ったりした若者たちのメンターとなったのだ。だが、その長旅には犠牲が伴った。私たち三人家族が苦しみを受けたのだ。
先の看護師の助言に従い、母にお別れの言葉を言ってくれと兄に電話をした。母の耳にスマホを当てると、兄マーシャルの声がした。「母さん、さようならを言うね。」母は意識を取り戻すことなく、二日後の午前一時にこの世を旅立った。
だれ一人、この世の苦しみを免れない。私たち壊れた人間は壊れた星に生きていて、悲しみは払うべき代償の一部である。私は母の人生を深い感謝の念をもって振り返っている。死という悪に対する悲しみよりも、失われた良きもの―実現しなかった約束―に対して、より大きな悲しみを感じている。けれどこんな未来を信頼している。「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」(黙示録二一・四)

 

ブログを訳して
『光の注がれた場所』訳者
山下章子

 

本稿は二○二三年五月二九日付のヤンシー氏のブログの抄訳です。実際のブログは、二十五歳の息子を山の事故で失ったニコラス・ウォルターストーフの回想録と、「心の対話」を重ねながら綴られています。現在、イェール大学名誉教授を務めるウォルターストーフは、『涙とともに見上げるとき 亡き子を偲ぶ哀歌』(正井進訳、いのちのことば社、二○一三年、現在品切れ中)の著者としても知られています。家族を失う悲しみ、答えのない問い、悲しみを通してのみ見えてくる神の姿……交錯する二人の言葉を読みながら、静かに深く心に刻まれるものがありました。
紙幅の関係でウォルターストーフの言葉を削らざるを得ませんでしたが、最後に少しだけ紹介いたします。
「神の世界で物事はうまく運ばなかったし、なぜ神がこれほど長くそんな状態に耐えておられるのかもわからない……私はそれを受け入れて生きてゆく……神は悪との戦いに関わっておられ、最後はその戦いに勝利されるのだ。」

 

関連書籍


『光の注がれた場所 フィリップ・ヤンシー自伝』

記憶にない父親の死の秘密、過剰なまでの母親の期待、トレーラーハウスでの貧しい生活、白人至上主義に立つ教会とバイブルカレッジ……。著者はそうした状況をどのように乗り越え、心の癒やしをたどってきたのか。

フィリップ・ヤンシー著 山下章子訳
四六判・定価2,860円(税込)

 


『消え去らない疑問 悲劇の地で、神はどうして…』

東日本大震災、サラエボ紛争、コネティカット州のサンディフック小学校での銃乱射事件。悲劇にあった三つの地を取材し、著者が生涯のテーマとしてきた「痛むとき神はどこにいるのか」という疑問に再び向き合う。

フィリップ・ヤンシー著 山下章子訳
四六判・定価1,760円(税込)