信じても苦しい人へ 神から始まる新しい「自分」第13回 教会に行く理由④〜謙遜な姿より大胆な信仰で!〜

中村穣 (なかむら・じょう)

2009年、米国のウエスレー神学大学院卒業。帰国後、上野の森キリスト教会で宣教主事として奉仕。
2014年、埼玉県飯能市に移住。飯能の山キリスト教会を立ち上げる。2016年に教会カフェを始める。
現在、聖望学園で聖書を教えつつ、上野公園でホームレス伝道を続けている。

 

教会に必要なのは、信仰の強さを誇る信仰者ではなく、弱さを大胆に主の前に出す信仰者です。今回は、表面的な謙遜さではイエス様の愛を受け取れないことについてお話しします。

「謙遜に愛を受け取るのではなく、愛を受け取るゆえに謙遜になるのです。」

人間の弱さは心の暗闇を通して見出すことができます。ヨハネの福音書二一章には、“弱さ”を持つペテロが、復活したイエス様から召しを受ける場面が描かれています。その前半には、ありのままではイエス様の前に行けなかったペテロの姿があります。ペテロはイエス様を見つけると、裸同然だったので上着をまとって、湖に飛び込みました。ありのままではイエス様の前に出られない戸惑いがあったのだろうと思います。そんな気持ちはだれにでもあります。

一緒に舟に乗っていた弟子たちは冷静に、魚を持って陸まで来ました。イエス様は陸で弟子たちが獲ってきた魚を一緒に食べようと待っておられたのですから、ペテロも他の弟子たちと一緒に来ればよかったはずです。しかし、「あなたのために死にます」とまで言ったのに、イエス様の裁判の時に裏切ってしまったペテロは、イエス様に対するざわつく心、後ろめたさを隠せませんでした。自分にはもう居場所がない、見捨てられた、与えられる使命もないと感じていたかもしれません。だから、自分の弱さを隠すために上着を着て、湖に飛び込んで、イエス様のもとへ行こうとしました。

一緒にご飯を食べた後、イエス様はペテロに言われました。「あなたはわたしを〔御子が御父を愛するように〕愛しますか。」ペテロは、イエス様が使われた“愛”という言葉とは違う言葉で答えます。イエス様は神様の愛を表す「アガペ」を使われましたが、ペテロは人間の愛を表す「フィリア」を使います。イエス様からの問いに、ペテロは自分の最上級の愛で返事をします。「はい。主よ。私は人間的な愛であなたを愛しています」と。

ここには、葛藤しながらも、素直に自分の弱さと向き合うペテロの姿が見えるように思います。その返事は、イエス様のように自己犠牲の愛が自分の中にはないことを大胆に告白しているようです。

二回目も同じ言葉で対話がなされます。三回目は、イエス様は今まで使っていた「アガペ」を使わずに、ペテロが使った「フィリア」を使い、彼に寄り添われます。「あなたは私を人間的な愛で愛しているのか」と問われるのです。今まで自分の中にイエス様を思う強い信仰があると思っていたペテロですが、十字架の前でことごとく失敗し、自信をなくして、自分の中に暗闇があることを知ります。そしてその暗闇を通して、イエス様がこの暗闇さえも引き受けて、十字架で死に、よみに下り、復活してくださったというアガペの愛で、自分の暗闇を照らしてくださっているという体験をしているのです。

ペテロの三回目の返事は「はい。愛しています」ではなく、「あなたはすべてをご存じです」という自分の暗闇の告白です。自分の弱さを認め、イエス様の前に出ている姿です。

その後、イエス様は言われます。「わたしの羊を飼いなさい」と。この言葉ほど、ペテロを泣かせた言葉はなかったのではないかと思います。もう自分は必要ない、自分の居場所や働きはないのではないか、と思っていたペテロに、イエス様は責めることなく愛をもって「羊を飼いなさい」と言い続けられました。ペテロが自分の暗闇を通して、大胆にイエス様の前にへりくだることで、本当の赦しと召しを受け取ったのです。

 

私たちも暗闇を通して大胆に主の前にへりくだりましょう。現代の教会には「大胆さ」が必要です。とかく私たちは弱さを感じると、謙遜に「弱い人間ですから」と人前に弱さを出さないようにします。しかし主の前には、弱さと暗闇を大胆に差し出しましょう。そこにこそ、イエス様は光を照らそうとしておられます。人をつまずかせないようにとか、愛の行動をしなければとか、私たちの謙遜ではイエス様の愛を受け取ることはできません。このような謙遜さで自分の弱さを隠すのではなく、大胆に弱さを主の前で認める素直さが大切です。

なぜなら、十字架にまで従われたイエス様と出会わないかぎり、私たちは謙遜になれないからです。私たちは謙遜に十字架に従うのではなく、謙遜な十字架に大胆に従うのです。この謙遜さを持つイエス様と出会うために、私たちは教会に行くのです。

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