311 時代を見る眼 コロナ禍における教会を考える〈2〉 成熟した連帯性を求めて

日本伝道福音教団・鶴瀬恵みキリスト教会 牧師 堀 肇

新型コロナウイルス感染症の世界的大流行(パンデミック)は、実を言えば現代文明の特徴でもあるグローバリズムと深く関わる問題です。世はこれを、明るい未来を約束するかのごとく強調・推進してきました。

人や物や金が国境を越えていくだけでなく、おびただしい情報発信や人口移動、またそれにともない、未知の病原体も世界中に拡散することになったと言っていいでしょう。

都内の某大学の学長は今年度の卒業式でコロナ問題に触れ、「人類は感染症に国境がないことを思い知らされた。あらゆるものが国境を越えて流動するグローバル化の負の側面を露にした」と語りましたが、確かにこの「負」は、地球環境(自然・生物)に対する人間の慎みのない行動への逆襲のように思えてなりません。

ひるがえって教会の歴史をさかのぼると、キリスト教はもともとイエスのことばにしたがって、「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果て」(使徒1・8)にまで宣教し、いまや世界中に広がっていますが、グローバリズムの負の現実は警告を放っています。

それは、私たちが世界に伝えるキリスト教の内実は「福音」なのか、その伝達の手段も含めて自らを問わなければならない。宣教が伝える者の自己実現の手段となってはいないか、その目的や目標が組織の維持や拡張になっていないか、もしその要素があれば、福音ならざるものの「感染」に気をつけなくてはなりません。
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コロナ問題は、もう一つの難問に直面しています。それは先進諸国においてすでに見られるもので、これを契機に人の移動が抑えられ、生産も消費も停滞し、グローバル化の失速・停滞が予想されます。

それにともなって自国第一主義・保護主義・分断が、急速に世界に広がる可能性があります。それがポスト・コロナの大きな課題です。これを乗り切るために強い連帯が必要になります。

キリスト教会もこの問題をよく考えていないと、世の波に呑まれてしまいます。多様性を持ちつつも、一つの体であるという一体性・連帯性を失わないことです。「○○教団ファースト・〇○神学校ファースト」というような自閉的な保護主義や競争原理を超克し、身近な存在(個人・教会・団体)を大切にする、健全かつ成熟した連帯性を求めつつ、信仰共同体の形成に励みたいものです。