特集 戦争を語り継ぐ “二つの日々” を歩んだ生涯 ~追悼・渡辺信夫氏~

今年三月。東京告白教会の牧師を務め、生涯を通して自身と教会の「戦争責任」を見つめ続けた渡辺信夫氏が、九十六歳で亡くなった。

一九二三年に大阪のクリスチャン家庭で生まれた渡辺氏は、学徒出陣で出征し、当時の若者として「戦争で死ぬための日々」を送った。しかし敗戦を境に、人生を「平和のために生きる日々」へと一変させる。戦場での九死に一生を得る体験を通して、「戦争に抗し得なかったそれまでの生き方を恥ずかしく感じ、……平和を造り出す者として、戦争否定に徹して生きよう」と、決意するのである。

渡辺氏の生涯を表す〝二つの日々〟は、著書『戦争で死ぬための日々と、平和のために生きる日々』(いのちのことば社、二〇一一年)に詳しい。自身の「戦争責任」を問う中で見えてきた教会の責任、キリスト者の生き方等について、深い洞察が語られている。

「教会の戦争責任」と言えば、宮城遥拝や軍用機奉納といった国策迎合がすぐに思い浮かぶ。それらは間違いなく日本教会史の傷みだが、加えて渡辺氏は、「キリスト教を信仰している」という名目そのものが陥らせる過ちについて、重要な示唆を残している。すなわち、「信仰の名において、自分のしていることを肯定して、それを問い直さない」という過ちである。このことへの深い反省から、渡辺氏は「職務への忠実」という言い分の偽りを見破ること、「抵抗権」こそが信仰的良心の義務であると見いだしていくのである。

私たちは、コロナ禍のもとで世論が容易にまとまっていくさまを目の当たりにしている。もちろん感染予防は不可欠だが、いつ何時、「安心」「安全」の名で不当が正当化されるかはわからない。渡辺氏が生涯を掛けて訴えた「抵抗権」を、常に研ぎ澄ませていく必要があるだろう。