リレー連載 牧師たちの信仰ノート 第九回 「危機なくして成長なし」③

太田和功一(おおたわ・こういち)
KGK主事・総主事、IFES副総主事・東アジア地区主事を経て、現在クリスチャンライフ成長研究会総主事。

今まで二十代と三十代の初めに経験した危機と恵みについてふり返ってみましたが、今回は四十代に入る直前に経験した危機と、それを通しての恵みについてふり返ってみたいと思います。
前回述べたように、危機の中で与えられた恵みによって学生に対する奉仕を続けることができましたが、数年後に新しい働きへの招きを受けました。KGK(キリスト者学生会)が加盟している国際福音主義学生連盟(IFES)の東アジア地区の主事として働かないかとの招きでした。二十代の頃はアジアのどこかの国で宣教師として働きたいとの夢をもっていて、そのためにシンガポールの神学校で学びました。しかし三十代の後半に入ってからは、その夢は破れ、このまま日本で働くことが神の導きかと思っていましたので辞退しました。もう一つの理由は、日本とアジア諸国との関係の歴史を学ぶにつれ、アジアの国々の間での国際的な宣教協力を進めるコーディネーターは日本人でない方がふさわしいと思っていたからです。

しかし、数年後に再びIFESから招きを受けたので、本気で考え、祈ることにしました。紆余曲折を経て、その招きを受けることがみこころであるとの確信が与えられ、お受けすることにしました。KGKの同労者もその決断を受け入れてくれ、理事会も一年間の引き継ぎ期間のあと辞任することを認めてくれました。その決定から数か月後に香港でアジアの国々の働きの責任者が集まり、新しいコーディネーターの就任に備える会議が開かれることになりました。私にとっては前任者からバトンを受け継ぎ、他の国々のリーダーたちとこれからの協力関係について話し合う大切な機会でした。ところがその会議の直前に危機に見舞われたのです。
この危機は、いくつかの状況的なきっかけもありましたが、私の心の内のものでした。ここまで時間をかけて、一歩一歩確かめながら新しい働きに向けて備えてきたけれども、私の判断、決断はまちがっていたかもしれないという思いが増してきたのです。“こんな思いをもってこのまま進むことはできない……でも、変えるのは遅すぎるのではないか……一年後の辞任が正式に認められ、後任人事作業が始まっている今、もうKGKには戻れない……まもなく開かれる香港での会議は、私が抜けたら意味がなくなり、国際的にも大きな迷惑をかけてしまう……これからどんな仕事をして家族を養っていったらいいのだろうか……”こんな思いと恐れで悶々としていました。苦しみの中でその恐れの中心にあるものが見えてきました。それは、働きのこと、人々のこと、家族のことよりも、自分自身の恐れでした。自分が面子を失うことへの恐れでした。

この恐れの中心にあるものは、大学の卒業を目前に控えていたときの恐れと同じものでした。卒業後すぐに主事として働かないかとのKGKからの招きを受けていたとき、大学紛争の渦の中での主事の働きへの自信のなさ、両親の期待に背く恐れ、大学での学びや聖書的・神学的学びの浅さへの引け目、人間的未熟さや人間関係での挫折からの引け目などで心は不安で一杯でした。かといってこれという確かなものをもたずに、家業を継ぐという既定路線になりゆきで進んでも、しっかりと生きることはできないことも分かっていきました。日々悶々と祈る中で見えてきたことは、自分の知識や能力に対する自信があるかないかでもなく、また、人の期待や思惑にどう応えるかでもない、どういう道に進むように導かれるにしても、自分の人生を主に委ねるかどうかが問題でした。家業を継ぐか、KGKで働くか、それとも違う道か、いずれの道に導かれるにしても、それが「自分に与えられた道なら喜んでします」という覚悟の有無が問題の中心でした。その覚悟がもてるように祈り求め、それが与えられたとき、進むべき道がおのずと明らかになりました。

そして、自分の人生をもう一度主に委ね、明け渡す決心がついたとき、多くの人に迷惑をかけ、自分は面子を失い、これからの生活で苦労するかもしれないが、それでもよいとの覚悟が生まれました。そして、自分の判断の間違いを正直に認めて、香港行きを取りやめようとの決心ができました。ところがその後思いがけないことの展開で、不思議にもIFESへの道が開かれ、四十歳から二十年間、アジアの国々の兄弟姉妹と共に働く宣教協力の機会が与えられました。七十代の今も彼らとの親しい交わりと奉仕が与えられている恵みに感謝しています。