連載 グレーの中を泳ぐ 第2回 神様には勝てない……

髙畠恵子
救世軍神田小隊士官(牧師)。東北大学大学院文学研究科実践宗教学寄附講座修了。一男三女の母。salvoがん哲学カフェ代表。趣味は刺し子。

 

死にたかった時も、がんになった時も、イエス様はそこにいた

 

幼稚園に入る時期が来ると、両親は「この子が無事に生まれたら、牧師にします」という神との約束を果たすべく、まず「教会付属の幼稚園」に入れ、教会奉仕に不可欠なピアノも習わせることにしました。その幼稚園は入園希望が多く抽選制だったようですが、父は園長に「この子は将来、牧師になりますので入れてください」と話し、無事に(?)入園しました。
ピアノの先生はとても厳しく、楽譜が正確に読めず、練習しても上達しない私はよく叱られました。私は今も礼拝で奏楽をしていますが、毎週絶対に間違えるというレベルです。
幼い頃は、両親が私をささげると神様に約束したことを知らずに育ったのですが、知ってからは複雑な思いと恐れがありました。両親のそんな祈りを、神様は喜んで実現されるに違いないと思ったからです。それでも、将来は牧師になりたいと物心がついた時から思っていました。教会が、交わりが、キャンプが、教会行事が、日曜日が楽しくてしかたなかったのです。
教会幼稚園での一つの出来事が心に残っています。毎年恒例のイエス様の生誕劇で、誰が何の役をするのかは先生方が決めていました。私はてっきり自分がマリアに選ばれると思っていました。だって教会の子どもだし、誰よりも聖書のお話を知っているのですから。ところが私は、その他大勢の聖歌隊になったのです。くやしくて先生に「何で私は聖歌隊なの? マリアがよかった」と言うと、先生は「恵子ちゃんはお歌が上手だから聖歌隊になったのよ」と答えましたが、「ごまかされた」と感じ、納得はできませんでした。それが生まれて初めての、自分がその他大勢の一人にされた出来事でした。
またその頃、私は子どもながらに大きな決断をしました。それは神と親のどちらを取るかということでした。というのも、両親が生きていくうえでの優先順位が、神、召命(奉仕)、家庭の順位だと子どもながらに感じていたからです。
母は充分に家庭的で、料理なども上手でした。奉仕のために家庭がおろそかにされているとは感じませんでした。でも、牧師でいる時の母は輝いていましたし、楽しそうでした。それでも私の中では牧師とか教会のお母さんではなく、私だけの「母」でいてほしいという願いと欲求がありました。私以上に大切だと母に思わせる神とは誰なのだろう、私はその神と戦って両親を勝ち取ることができるのかな、と考えました。そして出した答えは「神に勝てないから神を選ぶ」ということでした。そのような選択はもちろんしなくてよいものなのですが、私は何かそのように感じてしまったのだと思います。何かあったら家から捨てられるのではないか。家庭の外では通用するものを持っていない自分が生きていけるのかという漠然とした「恐れ」があったと思います。
小学一年生のある日曜のことです。日曜学校を終え、私は友だちと近くの公園で遊んでいました。誰かが石投げ合戦をしようと言い出し、ふた手に分かれて石を投げ合いました。男子の同級生が投げた石が私のおでこに命中しました。おでこから血が流れ、そこにいた十数人くらいの友だちがあっという間に逃げて行きました。
私は一人で泣きながら、同じ公園内で小隊のボーイスカウトの訓練をしていた兄のところに行きました。ボーイスカウトのリーダーがタクシーを捕まえて教会まで運んでくれました。礼拝の最中でしたが、母に近くの医院に連れて行かれ、数針縫いました。教会に戻り、教会員たちが帰宅した後、両親にいろいろ聞かれて事の次第を話し、兄も誰が石を投げたのかを話しました。投げた子どもも親も謝りには来ませんでした。母は一言「石を投げた子にも事情があるのだから赦してあげなさい。あの子が投げたとクラスの友だちに言ってはいけないよ」と言いました。
私は薄暗い洗面台の鏡の前で自分のおでこを見ながら、こんな痛い目にあったのに、相手は謝りもしないのに赦さなくてはならないのかと悲しくなりました。翌日、母は手土産を持って私を連れて相手の家を訪ねましたが、いなかったので玄関に置いて帰りました。
この出来事を通して、どんな痛い目にあっても泣き叫んでも自分に非がなくても神様の教えと価値観が一番で、私は二番なんだということが身にしみました。後に、この出来事について二十歳の時の日記にこう書いています。「私はただ、『あなたは大事な存在だ』そう言ってほしかっただけ」