『歎異抄』と福音 第二十一回 親鸞の悲しみ|唯円はユダか?|

『歎異抄』と福音

第二十一回 親鸞の悲しみ|唯円はユダか?|

哲学者の梅原猛が一月十五日に九十三歳で亡くなった。『隠された十字架|法隆寺論』は日本古代史に新風を吹き込んだ。法然や親鸞への愛着は深く、親鸞と違い法然は書きづらいと、老境に入って『法然の哀しみ』を上梓した。政敵に斬殺される父親を見た少年の心の疵から説き起こす法然論だ。では、親鸞の悲しみとはどういうものだろう。
梅原逝去の記事に宗教学者の山折哲雄の談話があった。人文学が底を打った感がする時代だからこそ、梅原さんの喪失感は大きい、と。親鸞をも論じ続ける山折の議論に学びつつ、親鸞の悲しみについて考えてみたい。
山折の問題意識は、唯円の『歎異抄』は親鸞を裏切る著作ではないかという深刻な問いかけだ。本連載第十四回「法然と親鸞にズレはあるのか?」で扱ったのは、法然と親鸞の問題だったが、それは親鸞と唯円との間にもあった。心から尊敬し随順する師から、弟子はやがて離れていく。親鸞は法然から離れ、唯円は親鸞から反れていくのか。

阿弥陀仏の名を称える者は、無条件に極楽に往生する。この悪人正機説こそ『歎異抄』の中心思想だ。この思想の拠り所は、『無量寿経』にある四十八誓願の内の第十八願だ。王様であった法蔵が誓願を立てて修行を重ね、今や修行を完成して阿弥陀仏となり、極楽浄土に信者を迎えている。この神話における誓願の中心が次の第十八願だという。
◇「仮に私が修行を完成して仏と成ることができたとして、全世界の人々が心から信心をし、わが極楽浄土に生まれたいと願い、念仏を十回唱えたとしましょう。それでも極楽に生まれることができなかったとしたら、私は覚りには入りません。但し、五逆の大罪を犯した者と仏の教えを誹謗する者とは除外します。」(『無量寿経』より試訳)
法然はここから阿弥陀の名を称えるだけで、極楽浄土に往生できると説いたが、この救済論には除外規定がある。五逆を犯す極悪人と仏の教えを誹謗する者は除外される。五逆とは、父また母を殺すこと、阿羅漢(覚りを前にした修行者)を殺すこと、仏の体に傷を負わせること、僧侶集団の和を破壊することの五つだ。加えて、仏の教えを誹謗する者も救済から除外されるとある。
法然はこの除外規定を無視して、広く万民が極楽浄土に行くことができると説いた。親鸞はしかし除外規定にこだわり続け、『教行信証』では極悪人の救いを論じ続けている。親鸞の結論は、五逆の極悪人は、「善知識(良き師)」に導かれ、「懺悔(過去の罪悪を告白して悔い改めること)」を条件として極楽往生が可能になるという条件付き往生論だ。親鸞にとって法然こそが良き師であり、彼が晩年多く作った和讃には懺悔の言葉が満ちている。一例を挙げる。
悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり
修善も雑毒なるゆえに 虚仮の行とぞなづけたる
親鸞「愚禿悲歎述懐」
みずからの悪を凝視して歎き、修行をしても嘘偽りでしかないと、我が身を打つように慙愧の念を繰り返している。そうしなければ済まなかった親鸞は、自分自身が阿弥陀仏の救済から除外される極悪人だと自覚していたのだろう。親鸞は人間の「根源悪」を凝視していたと、親鸞を評価する山折は、『歎異抄』ブームにも違和感を唱える。
近代日本人にとって『歎異抄』は自己のエゴイズムをそのまま肯定するだけの「思想玩具」だったのではないか。良き師について己の悪を深く懺悔した親鸞の悪人正機説は、「そんな薄手な思想だったのだろうか」。「もしも親鸞が言った、条件付きの往生論が一般にその通りに了解されていたとしたら、『歎異抄』の言説がこれほどまでのブームを呼びおこすことはなかっただろう」(山折哲雄『親鸞の浄土』)と実に手厳しい。
良き師である法然の「万民救済論」から反れていくことを躊躇して、『教行信証』を書く親鸞の筆は難渋しているのだろうか。極悪人の除外規定に一切触れない『歎異抄』を書く唯円は、親鸞を裏切るユダだったのではないのか。山折は親鸞の苦衷にまで論を進めている。

親鸞の書簡集にも山折は併せて目を向けさせる。勢いよく異端を斬る『歎異抄』の筆致とは裏腹に、念仏者は皆心を同じくするようにと願う心弱い親鸞が、そこにはいる。教えが混乱するのを収めるために親鸞は息子の善鸞を東国に送る。その善鸞に送った手紙には、混乱を招くばかりで力及ばないことを我が子に詫びる親鸞がいる、と。
親鸞の悲しみが極まるのは、その善鸞が、自分こそが父の教えを体現するなどとうそぶいて、事態を一層悪化させたことだ。八十半ばの老師は責任を取って息子を義絶した。宗教者としてではなく、ひとりの人間として無力をかこつ老親鸞の悲哀を思わせられる。