誌上ミニ講座「地域の高齢者と共に生きる」 第一回  ひとり暮らし高齢者への支援のポイント

井上貴詞
東京基督教大学助教

ひとり暮らし高齢者への支援のポイント

  日本社会の高齢化は、団塊の世代の方々のリタイアを境に一段と急速化しています。「しらがは光栄の冠」と聖書が記すように本来の長寿社会は祝福です。しかし、現実は介護や孤独を苦にした殺人や家庭崩壊を耳にしない日がないほど荒涼とした風景が広がっています。
本連載は、高齢者と共に生きようとされるクリスチャンや教会の働きの一助となることを願うミニ講座です。今回は、全国の高齢者世帯数九六二万世帯の内の約半数を占め、急増しているひとり暮らし高齢者に焦点をあてます。ひとり暮らし高齢者と接する時には、その生活パターンやタイプを理解しておくと役に立ちます。もちろん、分類そのものが目的ではなく、隣人となるための理解の助けです。お一人ひとりは、神に創造された極めて多様な個性と人生経験を持つ唯一無二の人格であると受け止めることが大前提です。

自立に積極的なパターン

この場合は、自らが自分自身の人生設計として「一人で暮らしていく」ことを選択しています。他人に気遣いをしながら生きていくよりも、自分らしくのびのびと生きることを尊重しています。独立心も強く、ひとりで生きていくための術やネットワークを持っています。
しかしながら、自らなんでも頑張ることでSOSのシグナルを出したりすることは苦手です。しっかりと気を張ることが、他人の親切を素直に受け取れないことになったり、心身の変化(衰え)を自覚できないことにつながったりもします。こうした高齢者の心情や姿勢を理解し、多少の頑固さもその方の「強み」と捉える懐の深さが私たちに求められます。

孤独なひとり暮らしのパターン

子ども夫婦との葛藤や配偶者との死別を通して、思いもよらぬ結果として一人暮らしになるパターンです。見知らぬ人と交わったり、友だちになることはもともと苦手であり、助けて欲しいときもうまく頼めなかったりします。かくして家に閉じこもるようになり、人の出入りもなくひっそりと暮らしています。その結果、生活意欲が低下し、認知症に似た症状が出たりします。
こうした場合には、まず陥った苦境、落胆、悲嘆をしっかりと受け止め共感できる姿勢が肝要です。そして、信頼関係を作り、精神的なサポートや交流の機会を提供することで、心身の健康を維持することを助けることができます。暖かい情緒的なつながりを求めるゆえに、そうした心情を利用されて消費者被害などに巻き込まれる危険があることも心に留めたいところです。

断絶・孤立型のパターン

周囲と断絶して孤立した状態になっています。本来の性格も影響しますが、若い頃から借金、病気、家族関係や家庭生活の破綻、仕事におけるトラブルで苦労しており、深い心の傷を引きずっている場合もあります。心ある方々が手を差し伸べようとしても、拒絶したり、無茶な要求を繰り返したりするので親族や近所の人々からも疎まれるようになってすっかり孤立しています。
この場合には信頼関係を作ることすら容易ではありません。例えば、本人の希望にそってお世話をし「受け入れられた!」と思った数日後に「私はあの人に騙されてとんでもないことをされた」と近所に言いふらされたりすることも起こります。関わるポイントは、その人が本当に助けを必要としているのか、本人が要求している奥にあるものは何なのかを見分けることにあります。一人で抱え込まずに、専門家との連携もしながら、緊急性がない場合は、距離を保って見守ることも重要です。境界線を引きつつも関心を保ち、SOSを出してきたら、その人の真のニーズに応じることで心が氷解することもあります。目線が近い地域の隣人だからこそ、対等な関係を築いて専門家顔負けの支援ができることもあります。あるクリスチャンのホームヘルパーさんが派遣された家は、都会の片隅でだれも訪問する者もなく、散乱したゴミと異臭の中でひっそりと暮らす老婦人の住む家でした。何とその老婦人はクリスチャンでした。そのヘルパーは、一緒に讃美歌を歌ったりしながら、老婦人のケアをしたのです。教会へも行けなくなっていた老婦人にとってこのヘルパーの存在はどんなにか大きな慰めと助けとなったか測り知れません。
クリスチャンがこのような深い孤独の中に生きる方のところに「小さなキリスト(M・ルター)」として祈られて派遣されていくことはとても意義深いことだと私は確信しています。