日常の「神学」 今さら聞けないあのこと、このこと 最終回 みこころを知る

岡村 直樹
横須賀市出身。高校卒業後、米国に留学。トリニティー神学校を卒業し、クレアモント神学大学院で博士号(Ph.D.)を取得。2006年に帰国。現在、東京基督教大学大学院教授、日本福音主義神学会東部部会理事、hi-b-a責任役員、日本同盟基督教団牧師。

 

進学や就職また結婚は多くの若者にとって、とても大きな決断を伴う一大イベントです。もちろん年を重ねても、人生にはさまざまな難しい選択がつきものです。信仰者であれば、自分の希望や家族のアドバイスだけではなく、神様の「みこころ」が知りたいと願うでしょう。神様の「みこころ」を求める姿は、聖書のあちこちに見られます。勇者ギデオンは、「もし私がみこころにかなうのでしたら」(士師6章17節)と神様に祈り、詩篇の著者は「わが神よ 私は/あなたのみこころを行うことを喜びとします」(詩篇40篇8節)と詠いました。そしてキリストご自身も「だれでも天におられるわたしの父のみこころを行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです」(マタイ12章50節)と語られています。

聖書の中には、どのような状況の中でも当てはまる神様の「みこころ」が記されている箇所が多くあります。誠実であること(箴言11章5節)、敵を愛すること(ルカ6章27節)、善を行うこと(ローマ2章10節)などが例として挙げられます。しかし難しいのは、自分の心が定まらない時や、周囲の意見が異なる時、また聖書を読んでもピンとこない時かもしれません。そんな状況の中で、どのようにして信仰者は神様の「みこころ」を知ることができるでしょうか。以下に聖書が語る四つの方法を紹介します。

聖書を開きましょう。たとえ一、二回読んでピンとこなくても、聖書と向き合い続けることが大切です。詩篇119篇105節には以下のような言葉があります。「あなたのみことばは 私の足のともしび/私の道の光です。」パウロもテモテへの手紙第二、3章16節で同様に語っています。当然、聖書のどの箇所を読むのかという課題がそこにあります。「エイ!」とむやみに聖書のどこかを開くのではなく、最近聞いた礼拝メッセージを思い出したり、また気になる聖書の言葉を、聖書ソフトやオンライン聖書を用いてキーワード検索して開いてみたりするのもよいかもしれません。しかし「苦しい時の神頼み」的に聖書を開くのではなく、聖書通読等を通して、日々みことばに接していることが重要ですね。

自分の心を探りましょう。自分の「思い」の中に忍び込むこの世の価値観を見極め、そこから自分を遠ざけましょう。パウロは、「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります」(ローマ12章2節)と語っています。この世とは、聖書の価値観が及んでいない社会のことです。私たちの周りには、「勝ち組」や「成功者」といった言葉があふれていますが、ほとんどの場合、それらはこの世における地位や名声、そして経済的な成功と結びついています。日本は「人様の目」をとても気にする社会であると言われています。「人様に迷惑をかけない」という観点から、それを気にすることは必ずしも悪いことではありませんが「人様の目」は「この世的な目」であることがほとんどです。
祈りの中で神様に求めましょう。「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます」(ヤコブ1章5節)と聖書に記されています。これは試練を乗り越えるための知恵に関するみことばですが、悩みや迷い、また自分の切なる願いを正直に打ち明けるとき、神様はそれを受け止めてくださいます(ピリピ4章6節)。

尊敬し信頼する周囲の信仰者に相談しましょう。「よく相談しなければ、計画は倒れる。多くの助言者によって、それは成功する」(箴言15章22節)と聖書は教えています。もちろん必ず的確なアドバイスをもらえるとは限りませんが、自分が見えていなかった課題に気づいてくれたり、励ましてくれたり、そしてなにより「とりなしの祈り」を捧げてくれるでしょう。

ここまで「みこころ」を知るためのいくつかの方法を見てきましたが、その前に確信すべきことがあります。それは、私たちは神様に愛されており、「すべてのことがともに働いて益となる」(ローマ8章28節)と約束されているということです。たとえ後々になって、自分の選択は間違っていたのかなあと迷うことがあっても、その中にも神様が働いてくださり、すべてを益としてくださっているのです。大切なのは、神様の愛と約束に信頼しつつ、希望をもって一歩前に踏み出すことかもしれません。
(今回がこの連載の最終回です。二年間にわたってお付き合いくださり、ありがとうございました。岡村)