時代を見る目 179 現代ドイツ文学の世界から<2>
シュリンクの新作『週末』

松永美穂
日本同盟基督教団・徳丸町教会員/早稲田大学文学学術院教授

 昨年の3月にベルリンを訪れた際、『朗読者』の著者ベルンハルト・シュリンクを大学の研究室に訪問することができた。折しも彼の新作『週末』が刊行された直後であり、新聞などにも書評が出始めていた。滞在中にルネッサンス劇場で開かれたシュリンクの自作朗読会は、チケットもすべて売り切れ、新作に対する人々の関心の高さがうかがえた。

 『週末』は元赤軍派テロリストを主人公に据え、彼が刑務所から出所した後の最初の週末を描いた作品である。日本でも連合赤軍を回顧する本が数多く出版されているが、ドイツでもその世代の人々が60代になり、学生運動や赤軍派をふりかえり、総括する動きが出ている。そんななかで、学生運動世代のシュリンクがテロリストを主人公に小説を書いたのは、まさにタイムリーと言える。

 この小説は、主人公イェルクの出所を祝うために、かつての友人たちがイェルクの姉の別荘で共に週末を過ごす、という設定になっている。そのなかにプロテスタントの牧師、カリンがいる。カリンは別荘に滞在中の人々に向かって、日曜日の朝九時に礼拝を行う、と予告する。殺人の罪も犯しているイェルクをめぐって、姉や友人たちにはさまざまな思惑や誤解があり、彼らのあいだには不協和音が支配している。しかし、日曜の朝になると、思いがけずほぼ全員が礼拝に出席し、「真理はあなたがたを自由にします」というヨハネの福音書の言葉に耳を傾けるのである。この礼拝の場面に、シュリンクが信仰にかける期待を読み取ることができるだろう。もっとも、いかにも学生運動世代らしく、出席者は牧師の説教に突っ込みを入れる。「人生における真実を見いだすよう努力すること」「自分が何者であるかを知ること」の大切さを訴える牧師自身も、若いときの中絶体験を夫に話せず、悩みを抱える人間として描かれている。

 シュリンクは、登場人物たちの弱さを描きつつも、彼らを断罪するようなコメントはせず、彼らの人生についての判断を読者に委ねている。ただ、作家として登場人物の運命を決めてしまうことによって、彼なりの「裁き」をつけているのでは、と思われる部分もある。『朗読者』のハンナが、恩赦による出所直前に自殺してしまうところ。『週末』のイェルクは出所を許されるが、ガンに体を冒されている。別の設定だったら、小説の印象はどう変わっていただろうか? そんなことを考えて読んでみるのもおもしろい。