たましいの事件記者フィリップ・ヤンシ―
その探究の軌跡 新連載 (1)『消え去らない疑問』

山下章子(やました・しょうこ)
東京に生まれる。
学習院大学文学部哲学科卒業。
カリフォルニア大学サンタバーバラ校留学。
現地にて受洗、フィリップ・ヤンシーの著作に出会う。
英会話学校講師を経て、翻訳者に

フィリップ・ヤンシーの著作を翻訳するようになって、かれこれ二十数年になります。今月から数回にわたり、旧来のファンはもとより、ヤンシー作品に馴染みのない方たちや敬遠している方たちのことも念頭に置いて、彼の著作の特徴や魅力についてお話ししてまいります。お付き合いいただければ幸いです。

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ヤンシー氏は一九四九年、米国南部のジョージア州アトランタに宣教師の息子として生まれました。二十代に『キャンパス・ライフ』誌の記者となり、その後、同誌の母体といえる米国福音派の旗艦誌『クリスチャニティ・トゥデイ』誌に移り、現在は編集顧問として活躍しています。数々の雑誌や新聞にも寄稿し、キリスト教信仰に関する著作を次々に発表、世界中に読者をもち、海外での講演活動にも意欲的に取り組んでいます。
こうした経歴から、ヤンシー氏はクリスチャン・ジャーナリストであり、作家(もしくは著述家)でもあるといえます。クリスチャン・ジャーナリストという肩書は、日本ではあまり目にしません。あるとしたら、新興宗教も含めたさまざまな宗教の世界で起きていることについて取材する宗教ジャーナリストでしょうか。
ヤンシー氏が一般的なジャーナリストと異なるのは、現実の事件を取材しながら、それらをさらにキリスト者として、神の思いを問いつつ考察するところにあります。しかも真の取材対象は、日常が狂わされたとき人の心に立つ不穏な波風という、事件の奥の事件です。今、ここに生きている人々の心に起きている事件。そして、人々を救うはずのキリスト教の神はそれをどう思っておられるのか。キリスト者はどう考え、行動するべきなのか。みことばに、神学者や聖人たちの言葉に、あるいは普通の信仰者たちの生き方に答えを探る過程がそれぞれの作品に描かれます。
彼は職業を聞かれると、「人間にとって普遍的な疑問を探究する、一般の人向けの神学の本を書いています」(『隠された恵み』四九頁)と答えるそうですが、多くの人々が心の奥に抱いている疑問を丁寧に取り上げ、キリスト教の神はどう答えるかを探究する彼は、「たましいの事件記者」と呼べるかもしれません。

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二〇一四年に『消え去らない疑問――悲劇の地で、神はどうして……』が出版されました。二百ページ足らずの本なので、気軽に手に取ってくださった方もいらしたかと思います。この本には、悲劇に見舞われた三つの土地――東日本大震災の被災地、サラエボ、コネティカット州ニュータウン――を著者が訪れたときのことが書かれています。
日ごろ神など意識しない人も、苦難に遭えば神を思います。神に向かって祈る人もあれば、神などいるものかと怒りを露わにする人、虚無感を覚えるばかりの人もいることでしょう。ヤンシー氏は、神に怒りを表したり疑問を口にしたりする人の思いを、鋭くも温かい洞察の光で照らしていきます。災害、戦争、暴力。大きな苦しみに見舞われたとき、人の心に湧き上がる疑問は、信仰の有無に関係なく、すべての人間に共通のものに違いありません。そのような疑問を取り上げて聖書の答えを探る中で、信仰に裏打ちされた言葉、行動、生き方が紹介され、キリスト者の信じる神の特徴も示されます。
とはいえこの本は、ヤンシー作品に触れるのに最適の一冊、と言うには少々難しいところがあります。ヤンシー氏は二十七歳のときに処女作『痛むキリスト者とともに』を上梓して以来、人間の抱く疑問をキリスト教信仰との関係で探究する作品を書き続けてきました。『消え去らない疑問』はページ数が少ないため、丹念な追究のプロセスは省かれ、長年の考察の末に導かれた確信があちこちに織り込まれています。そのため新しい読者の中には、途中で置いてきぼりにされたような思いを味わった方もいらしたかもしれません。そのように消化不良を感じた方には、ヤンシー氏の辿ってきた探究の道を初期の作品から追いかけてみることをお勧めします。すぐに結論に行き着けないもどかしさはあっても、著者の繊細な気づきや先人たちの識見、信仰者たちの生き様や言葉から、真の神の姿に肉薄する過程には驚きと感動があります。パソコンやスマホで検索すれば、たちどころに必要な情報がもたらされるこの時代、ヤンシー氏とじっくり思索の旅に出る意味は決して小さくないと思われます。
次回から代表的な作品を紹介してまいります。