折々の言 12 小さな夢の実現(3)

工藤 信夫
平安女学院大学教授 精神科医

 一、継続的な学び

 これまで二回にわたって私は、忙しい病院組織を去って大学に籍を置くことによって、時間的に自由になり「出ていく医療」に近いことが経験できたという話をしたが、今回はもう一つ、小さなグループ、学び会の話をしてみたいと思う。

 先日、九州のある所で話をした折り、二、三の牧師先生が中心となって継続的な学びの会(一種の読書会、歓談会、研修会)をもちたいということになったので、私は今それを楽しみにしているのだが、八月号で紹介したように、様々なところで年一、二回もたれるこうした集まりは、私の長年の願いであった。

 というのは、過去十年、二十年いや三十年近く、実に多くの講演活動を続けて、私の中に浮上した思いは、いわゆる伝道集会や講演会なるものへの素朴な疑問であった。それは一言で言えば、一回限りのいわば「打ち上げ花火」的な集会や講演会で、本当に深くそのスピーカーの持っているメッセージは届くのだろうかという疑問である。

 もちろん大いに苦しんで切実な思いを持ってその集会なり、講演会に出席する人々は、そうではないにちがいないが、案外貴重な臨床例も表面的あるいは一種の興味本位で、サロン風にとらえられることがあるように思われるからである。

 つまり年中行事のように、今年はA先生、来年はB先生、次の年はC先生というようなメニューの中で、はたして本当に教会の徳など高まるのだろうかということである。

 また宣教する側がイエスを伝え、聞く側がキリストを受け入れればそれでめでたし、めでたしとする流れにも何か疑問を感じてきた。すなわちヘブル書の記者の表現を借りて言えば、「基本の教えの繰り返し」(ヘブル六・二)に辟易していたのである。

 そしてまた『信仰者の自己吟味』(いのちのことば社刊)でも少しふれたように、それぞれの教会はそれぞれの顔、それぞれの主張を持っているように思われるのだが、その音色、実力、そして教会の粗雑さという問題もあるのではないだろうか。

 先日、四国に行ったとき、空港に迎えに来てくれた友人が、私にこんなことを言った。「先日、A先生が近くの教会にお話に来られたのですが、後でもう絶対あの教会には行かないと言っておられたと聞きましたよ。」

 「ああ、やっぱり」、内心そう肯かせるものが私の中にあった。A先生という方は、よく知られた伝道者であるが、A先生に限らず講演者は、同じような経験をしているにちがいない。つまり、この場合キリストの教会と標榜するものの、そのやり方がきわめて自己中心的なのである。

 これはもうすでに十年ほど前に『信仰による人間疎外』(同)に記したことであるが、教会に着いてまず個人的相談、夕方の伝道会、日曜日の礼拝そして午後の講演会……、つまり迎える側は「この機会に」とばかりにはりきるのかもしれないが、スピーカーの立場などまったく考えていないのである。それにA先生は多少ともお身体にご不自由をもっておられる方であった。

 昔、私はそんなことで思わず笑い出してしまったことがある。A先生のような激務をこなして、さあ、いざこれから大阪に戻るという空港で、招いてくれた牧師が「主よ、先生のこのお疲れをおいやしください」と祈ったからである。人を疲れさせておいて、「いやしてください」などというのは、何ということかと驚いてしまったからである。もちろん今はそんな乱暴なスケジュールはこちらの方からお断りしているが、若さ、熱心さというのはこういう非礼を期せずして犯してしまうものかもしれない。

 そして私が今このようなことを述べるのは、実はこうした破れは案外、何の先入観も持たないで、初めて教会に足を踏み入れた外来者には明々白々の事実となって、いつの間にか心ある人々を教会から遠ざけてしまうにちがいないと懸念されるからである。

 二、小さなグループというもの

 だから、こうしたプログラム化した集まりではなく、本当に学びたい人々の継続的な集まり、本当に話し合いたい人々との出会いは、私の長年の願いであった。

 本を書く立場からすれば、その本のどの部分がどのように役に立ったかを知りたいという思いがあり、その本を書いた人が年何度か定期的に来てくれるとなれば、本を読む人の注意力も俄然深まるのではないだろうか。そうであってこそ文書伝道というものは、その本来の相互的な交わりに近づくことになろう。

 そして今、こうしたグループが少しずつ作られつつあることを思うとき、これも「出ていく」という働きの一形態であると思う。ともあれ前回述べた医療と等しく、宣教や教育においても、あることに「こだわり続ける」「求め続ける」ことの中に実現する何かがあるのではないだろうか。容易に妥協せず、あきらめず、踏まれても踏まれても流されずに立ちつくす中に生まれるものがあると思われる。

 そしてイエスご自身が最期のとき、弟子たちを身近に引き寄せ、彼らを最期まで愛し通されたとき、イエスはおそらく彼らに何か最も大切なことを丁寧に教え、分かち合われたのではないかと思う。そしてそれは、決して多人数や不特定多数の人々ではなかったはずである。

 東京のお茶の水で月一度続いた「トゥルニエの会」や軽井沢のセミナーを十年間ともにしてきた人々を思うとき私は、パウロの「わたしの生命であり、慰めである愛する者たちよ」というみことばを思い返すのである。つまり「心血を注ぐ」ということである。

 三、クリエイティブ(創造的)ということ

 J・M・ドレッシャーは、原題「もしも私がもう一度、牧師をやり直すことができたなら……(If I Were Starting My Ministry Again)」(邦題『若い牧師・教会リーダーのための14章』 同刊)のなかで、「(もしも私がもう一度、牧師をやり直すことができたなら)教会にクリエイティブセンター(そのなかで牧師自身が新たにされ、創造的になる機能を備えたグループ)を作りたいと記している。(六四頁)

 それはおそらく分裂、分派ではなく教会のためであり、牧師自身の成長のためであろう。牧師はその中で自分自身が新たにされ、気づきや創造性が大いに深められることを示唆しての提案にちがいない。