戦火をくぐり抜けたクリスチャン
平和な生活は当たり前ではない

ヘンリエッテ・ファン・ラールテ・ヘール
『母への賛歌』著者

平和な生活は当たり前ではない

私はオランダのライデン大学名誉教授・村岡教授が世話人となっておられる「日蘭対話の会」に出席しています。彼はキリスト者の信仰にたち、平和と共生の未来はお互いの理解と和解の基礎の上に必ず可能だという信念のもとに日蘭間の対話に尽力しておられます。

 この会に出席するほとんどのオランダ人は、戦争中に日本占領により深い傷を受けた者たちです。この本の翻訳者である、タンゲナ鈴木由香里もこの会の世話人の一人です。多くの人に、自分の国で表沙汰にされてこなかった歴史に少しでも興味を持ってほしいと翻訳を引き受けてくれました。 私の行っているデンハーグにある教会の牧師に村岡先生のことを話したことから話が進み、その教会で毎年開かれている第二次世界大戦での戦死者を追悼する戦争記念礼拝に彼をお招きしました。 この本が二度目にオランダで出版されたときには、ベアトリクス女王様から秘書を通じて、この本が日本語に訳されることにお励ましをいただきました。

 しかし、日本政府は未だに戦争の過去を否定しようとしている、と聞いています。この過去は、日本人にとって暗い歴史の一頁であり、罪のない日本人の海外旅行者もときに恥ずかしい思いをさせられるからです。 しかしながら、日本の歴史の影の上に少しずつ光が射すようになってきました。たとえば、福岡県水巻市にある第二次世界大戦の犠牲者のために建てられた記念碑を思います。この記念碑には、大戦中日本で亡くなった八百七十一人のオランダ人強制労働者たちの名前が刻まれています。また釜石市では、そこで収容されていたオランダ人強制労働者の日記が翻訳され、中学生がミュージカルとして上演しました。 また何年か前に、敵同士だったオランダ人とイギリス人と日本人の子どもたちが出会い、平和を願って、日本とオランダとイギリスで植樹が行われました。このように日本とヨーロッパの地で、地道な、喜ぶべき発展が続いています。

 今回の出版のために、元駐日オランダ大使に日本の読者のための推薦文を依頼することにいたしました。ファン・ナウハウス氏が承諾してくださいました。彼も被抑留者の一人でした。しかし彼の人生の中で、一番いい想い出は日本と日本の人々にまつわるものです。一人でも多くの日本の方にこの本を読んでほしいとおっしゃっておられます。 ドイツが降伏した五月四日と、日本が降伏した八月十五日は、オランダで戦没者追悼記念会が催され、多くの犠牲者と戦争の傷を負っている人を思って追悼がささげられます。 私たちは平和に生活できるということが当たり前のことではないということを戦争を通して学びました。ですから、自由の中で生きられるように、将来の世代に建設的な基盤を造り出さなければなりません。 この小さな女の子の思い出のつまった本を通して、皆様が自国の歴史を見つめられるよう思ってやみません。いのちのことば社がこのことを実現させてくださったことに、心から感謝申し上げます。 ドウモ、アリガト、ゴイザイマシタ。 (ヘンリエッテ・ファン・ラールテ・ヘール)1940年、オランダ領東インド(現インドネシア)生まれ。アジア・太平洋戦争勃発により、3~5歳の間、母親と2人の姉妹とともに、日本軍の俘虜抑留所に収監される。戦後、やはり日本軍の捕虜となっていた父とともに解放され、オランダに帰国。看護師、秘書などさまざまな仕事に就く。1998年、ここでとりあげた、オランダで『母への賛歌』を発表した。

<写真キャプション>=発刊に際して去る6月、著者(左)が来日し、講演を行った。右端は訳者<写真キャプション>=A5判 1,890円

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