天国へのずっこけ階段 第3回 天井が壊れるほどハレルヤ

松本望美
北朝鮮宣教会所属韓国在住

 韓国人の友人に誘われ、ある教会の聖会に出かけた。マイクを持った牧師が壇上から、「天井が壊れるほどの大きな声で、ハレルヤ! と三回叫び、天にも響く声で父なる神様にお祈りを捧げましょう」と言った。

 「ハレルヤー! ハレルヤー!」と友人も周りも、張り裂けんばかりの声で叫んでいる。私が普通の声の大きさで叫んでいると、となりにいる友人から「望美宣教師! 声が小さい!」と怒られてしまった。「ハレルヤー!」と叫んでからせき込んでしまって、すぐに祈りに入れなかった私。逆に祈りに集中できなくて困っていると、「壇上にいた牧師が降りてきて、ひとりひとりの頭に按手をしながら大きな声で祈りはじめた。

 「望美宣教師、もっと大きな声で!」と友人が背中をたたく。私は日本語で、「神様、日本にリバイバルを起こしてくださあーい!! えーと、それからあー……」とがんばって叫んでみると、日本語のわかる友人から「えーとも、それからーもいらないから!」とまた怒られた。

 いよいよ牧師が近づいてきて、となりの友人の頭に手をおき……というよりは、両手でつかんで振り回しながら、大きな声で祈ってくれている。「ええー、次、私だよー。」なぜか怖くて泣きそうになった。そして、牧師が私の頭を両手で前後に振りながら祈り始めた。「アボジよー! 今、この姉妹に聖霊の油を注ぎたまえー!」そして、片手を離して、背中をバンバンとたたき始めた。

 「いたーい!」思わず日本語で叫んでしまった。牧師は、その声をどうとらえたのか、「主よー!」とますます力を入れてきた。それが終わってからは、ジェットコースターから降りたような感じだった。

 聖会が終わって、まわりの人とあいさつを交わすと、「牧師に按手されて、本当に恵まれたでしょ」とか「私たちの祈りが天に届きましたねー」と口々に言われ、教会を後にした。

 いろいろな信仰スタイルがある。大きな声で祈ることが好きな人はそうすればいいし、静かに祈ることが好きな人はそう祈ったらいいのだと思う。小さな声だから祈りは聞かれないとか、大きな声でなければ祈りは届かないということはないのだから、その人と神様との関係で決めたらいいと思う。

 私の場合は、大きな声では祈りづらいし、自由に口に出して祈りましょうといわれても、目をつぶって思いを集中したいのでほとんど口に出して祈らない。大きな声でも小さな声でも祈りは聞かれる。神様ははるか遠くにいるのではなく、すぐ近くにいるわけだから。

 その後は、「聖会があるけど、一緒に行かない?」と誘われるたびに「それって、天井が壊れるまで叫ぶの?」と聞くことが習慣になってしまった。