ブック・レビュー この時代に生きることの意味


竹山幸男
同志社中学校・高等学校 副校長

明治学院百五十周年記念連続講演会に招かれた三人の講演者は、高校生を前にして自分自身を迷わずに語る。
「私たちの教会は、東京電力福島第一原子力発電所から五キロのところに建つ、原発に一番近い教会です」(八頁、佐藤彰)、「私は(二十五年間)ホームレスの支援をしています。東京にもホームレスの人はけっこういますね」(四二頁、奥田知志)、「私は日本で生まれ、日本で育った在日朝鮮人二世です」(八六頁、宋富子)
「もしかすると私たちは生きる原点に戻されたのかもしれません」(二二頁)。佐藤彰先生と教会の東日本大震災による避難生活での経験、地震、津波、原発の被害、試練の中で神様から示された使命とビジョン。語られる一言一言が心にずしりと響く。
「失敗した時に、きみたちはどこに帰りますか?」(六九頁)「助けて」と言える自分、「助けて」と言う声を受け止められる社会であるかどうか。奥田知志さんは「『ここに戻っておいで』と言ってくれる場所を一つ確保しておいてください」(七二頁)と語る。「ハウスレスではないホームレス」と感じる高校生に、独りでは生きられない人間の真の姿と「イエス・キリストこそホーム」とのメッセージが語られる。
「無関心は罪であり、社会の悪をつくる」(一一一頁)。宋富子さんは国籍を理由に子どもがいじめられることに悩んでいたとき、園長・李仁夏牧師から、「自分を愛する」「隣人を愛する」ことを学び、そのことがその後の人生の活動につながったという。三人の講演者の話は、高校生のみならず高齢者まで「この時代に生きる(生かされていきる)ことの意味」について、深くそして広く考えさせられる。絶望と悩みのふちにあるときにも、信仰により生きる希望と勇気を見いだし、直面する現実を変えていく行動力、輝いて生きておられる姿には、はっとさせられる。
キリスト教主義教育の核心と理念的共通項の多い「日本国憲法」の改定が声高に叫ばれている昨今、時機にかなってこの本を出版された明治学院にも敬意を表したい。