ブック・レビュー 『キリスト者の平和論・戦争論』

『キリスト者の平和論・戦争論』
小岩井 信
日本同盟基督教団 子母口キリスト教会牧師

神のご意思にかなう平和論・戦争論を

 岡山英雄師は、旧約から「正義の戦争」を主張することはできず、新約の初代教会はイエスと使徒たちの教えに従い非暴力を貫いた、とする。暴走する国家に対して教会は警告し、キリストの非暴力の生き方に倣い、キリスト証言によって勝利する、と指摘する。

 李象奎師は、歴史神学者の視点から、四世紀ローマによる公認、国教化以降、教会が国家寄りとなり、平和主義を捨て、ついには中世の聖戦論にまで至った変化の歴史を詳述する。そして宗教改革時代の再洗礼派によって平和主義が再び回復したことまでを述べる。

 渡辺信夫師は、しかしその再洗礼派の絶対平和主義の純粋さは認めつつも、それが聖書の法に沿っていたのかと問う。そして、教会は再洗礼派のように、神の支配下にあるこの世の公法の世界から分離するのではなく、むしろ、神に従って公法を立てるというカルヴァンの考えに倣い、公法による不法の規制を目指す歩みのほうが意味がある、と指摘する。

 野寺博文師は、日本の十五年戦争について朝鮮を例に検証し「何もかも不法な戦争だった」と総括する。そして不法な戦争を行う国家に対しては教会が「不法は不法である」と神の言葉によって宣教し続けて国家の暴走を全力で食い止めるべきである、と指摘する。

 岩崎孝志師は、日本が特に狂気となった一九三五~一九四五年における中心的な出来事が、明治憲法の法体系をも否定したところの「天皇現人神化」であり、それこそが「総力戦体制」を生み出し、国民と教会を戦争体制に組み込んで行った、と指摘する。そしてその総力戦体制への志向が「靖国の思想」とともにいまだに続いている、と警告する。

 現代のキリスト者が、そして教会が、真摯に世界と日本の教会の歴史から学びつつ、この時代にあって、特に、不法な戦争へと暴走する現代国家と今後いかに関わっていくかべきか考えるために、また歴史の支配者であり、最終審判者である神のご意思にかなう平和論・戦争論を考え、明らかにし、語っていくために、本書は必読の一冊であると思う。