ビデオ 試写室◆ ビデオ評 89 「マザー・テレサ」(2)

「マザー・テレサ」
古川第一郎
日本キリスト改革派 南越谷コイノニア教会牧師

どんな困難にも負けず、愛することをやめなかった

 「私は神の手に握られた、小さな鉛筆にすぎません。」(マザー・テレサ)

 1946年カルカッタの修道院立の女子校で教鞭をとっていたシスター・テレサは、ある日、イスラム教徒とヒンズー教徒の抗争で負傷した男を、修道院の中に入れて治療してあげます。その男はヒンズー教徒でした。しかし、修道院長(ラウラ・モランテ)に厳しく注意されます。「いまインドは内乱中。ヒンズー教徒を助けると、私たちはヒンズー教の味方だと思われて、みんなが危険にさらされるから、2度とそういうことをしないように」。しかしテレサは、「いいえ、私は助けを求める人は助けます」と毅然として答えます。

 結局修道院長と対立したテレサは、ダージリンへの転任命令を受け、旅立ちます。しかしその途中、行き倒れになった男が「喉が乾いた」と呻く声を聴きます。その声が、「私は渇く」という十字架上のイエスの声と一つになります。テレサは神が、「貧しい人と共にいるキリストに仕えなさい」と命じておられることを確信し、カルカッタに戻ります。「私のいるべき場所は修道院の中ではなく、最も貧しい人のいる所です。どうか、院外で活動することをお許しください」と申し出ます。修道院長は、「院外活動するなら、修道女をやめなさい」と言いますが、テレサの熱心さに心を動かされたエクセム神父(ミハエル・メンドル)の口添えで、決定はバチカンにゆだねられます。

 彼女の信仰は単純です。「これが神様の望むことなら、必ず実現する。」バチカンから許可が出て、テレサは貧困にあえぐ人々が住む通りに出かけていきます。病人を病院へ運びます。子供たちに食糧を配るために、市場へ行って物乞い同然のことをするテレサに、目くじらを立てる修道委員長。しかし、教え子たちが協力者として加わり、「神の愛の宣教会」が生まれます。

 感動したシーンの一つ。老齢のマザー・テレサが病に倒れたとき、奇跡的に癒されます。退院する日の朝、エクセム神父が亡くなります。彼は、「マザーの代わりに、私の命をお取りください」と祈っていたのです。何という愛でしょうか!

 実は、このオリジナル版は184分のTVシリーズです。映画は2時間にまとめるために多くの場面をカットしているので、駆け足の感じがします。DVDには全編が収録されているバージョンがあります(スペシャルBOX版)。

 インターネットの感想を見ると、キリスト教的な映画を皮肉な目で見る人も、マザー・テレサの生涯に触れると、「自分は何もしていない」と感じて、映画批評などできなくなってしまうそうです。マザー・テレサは、平和を作り、人を愛することを死ぬまでやめませんでした。挫折しそうな時、彼女を支えたのが神であったこともよく描かれています。日本のクリスチャンが影響力を持つには何が必要なのか、答えがここにあるような気がします。