これって何が論点?! 第8回 安倍首相の「憲法解釈」

星出卓也
日本長老教会
西武柳沢キリスト教会牧師。
日本福音同盟(JEA)社会委員会委員、日本キリスト教協議会(NCC)靖国
神社問題委員会委員。

安倍首相がどんな発言をしていて、それはどんな意味なのか……。「特定秘密保護法」を強行採決したときは「戦争」に向かっているような気がしたけれど、それは今も続いているんですか?

今年一月二十四日から始まった第一八六回通常国会で、安倍首相は従来の日本政府の見解をも覆すような見解を示して波紋を広げています。その内容は、政府が憲法を自由に解釈する権限を持つという、つまりは憲法の権威よりも政府の権威が勝るとする、大変な問題を問うているものです。安倍首相は、「(憲法解釈の)最高責任者は私だ。……選挙で国民の審判を受ける……のは内閣法制局長官ではない」と、二月十二日の衆院予算委員会で発言したのです。
ある国が武力攻撃を受けた時、同盟国が共同で防衛にあたる権利は「集団的自衛権」ですが、従来の政府では、「わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、これを超えるものであって、憲法上許されないと考えています」(防衛省・自衛隊ホームページより)という見解でした。これまでの与党も、自衛隊が日本防衛以外の軍事作戦に参加できる道を「国際貢献」という名目で何とか模索してきましたが、いつもその試みに立ちはだかってきたのが「法の番人」と呼ばれる内閣法制局長官の憲法解釈でした。一九八三年に法制局長官であった角田礼次郎氏が「憲法上認めたいという考えがあり、それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手順を当然採らざるを得ない」と語って以来、集団的自衛権は憲法9条では認められない、というのが日本政府の解釈となってきました。

Q 内閣法制局と政権の関係とは。
内閣法制局とは、政府が国会に提出する法案の事前チェックや調査をする補佐機関です。政権交代によって政府がかわっても、時の政権によって恣意的にコロコロと憲法解釈が変えられないようにする大切な役割を負っています。
一九九〇年の湾岸戦争のとき、自民党幹事長だった小沢一郎氏は、財政支援だけではなく自衛隊派遣ができるように、「個々の国家が行使する自衛権と、国際社会全体で平和、治安を守るための国連の活動とは、全く異質のものであり、次元が異なるのです。……国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない」との解釈を通そうとがんばったのですが、当時の法制局長官工藤敦夫氏は「国連の指揮下でも憲法の制約は及ぶ」として首を縦に振らず、その持論は通らなかったことがありました。後に小沢氏は、民主党の政権下で「政治主導」の名のもとに、内閣法制局を廃止し、官房長官に法解釈を担当させようとしましたが、実現はしませんでした。
これは、時の政権と法制局長官との確執というような単純な問題ではありません。政府の権威の上に憲法があり、憲法にかなって政治が行われなければならない、そのためにはチェック機関が必要なことを示している非常に大切な事例です。政府は、憲法を恣意的に解釈して政治を行うことは許されず、憲法の正しい解釈に則さなければならないという制限がいつも課せられています。このように、憲法が政府の権限を規制するという国のあり方を「立憲主義」と言います。「現憲法はGHQに押し付けられた憲法だから」として憲法改正論が叫ばれることも多くありますが、政府が現憲法の権威下にあると感じていることは、「日本国憲法」が立憲主義にかなって機能している証拠なのです。

Q 何のための憲法解釈か。
今回の安倍首相の発言の重大さは、〝政府が憲法解釈を行える〟としたことにあります。
昨年八月、安倍首相は内閣法制局長官について、集団的自衛権容認の考えをもつ小松一郎氏にすげ替えるという異例の人事を行いました。そして、今年の施政方針演説でも、集団的自衛権の行使に意欲を示し、二月五日には「(集団的自衛権の行使容認について)政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正が必要だという指摘は必ずしもあたらないと考える」と語り、二月十二日の「最高責任者は私だ。……内閣法制局長官ではない」という発言に至ったのです。これらの安倍首相の発言や行動は、一時の言い過ぎなどではなく、立憲主義の根本をも覆す根本的な政治理解の問題なのです。
一言でいえば、首相が最高責任者なのか。政府が最高権威なのか。それともその上位に憲法があるのかが、改めて今問われていると言ってもよいでしょう。神の言葉に服する教会も恣意的に聖書を解釈するとき、その本来の命を失っていきます。同じように、現憲法の精神に反する解釈をすることも、現憲法の理念に反する立法を行うことも、気が付いたら、憲法改正をせずに、実質改憲したことと同じことになってしまいます。ナチスが民主的なワイマール憲法を改正せずとも、いつの間にか同憲法を骨抜きにできた、と言われていることが、憲法解釈によって、今まさに静かに行われようとしているのではないでしょうか。

推薦図書
田中伸尚著『憲法9条の戦後史』(岩波新書2005年)
豊下楢彦著『集団的自衛権とは何か』(岩波新書2007年)
西川重則著『わたしたちの憲法 前文から103条まで』(いのちのことば社2005年)