伝わる言葉で伝える福音 第19回

「他宗教を知れ!」

青木保憲
1968年愛知県生まれ。小学校教員を経て牧師を志す。グレース宣教会牧師、同志社大学嘱託講師。映画と教会での説教をこよなく愛する、一男二女の父。


ある日、いつもの本屋に情報収集のために入った。そこで見つけた一冊の本。なぜかそれが気になる―。
本のタイトルは『どんな悩みも手放せる100の言葉 大切なことは全部お経に書いてありました』(オレンジページ刊)。「宗教・精神世界」コーナーに平積みになっている。売れている証拠である。
私の心をとらえたのは「大切なことは全部お経に書いてある」というフレーズ。まるで虫歯に無造作に触れられたかのような痛みと刺激を受けた。「私は認めないぞ!」と牧師魂に火が付いた一方で、虚心坦懐に「仏教の一般書は日本人に何を語り、訴えているのだろう?」という好奇心が頭をもたげてきて、気がつくと一冊を手にレジに並んでいた―。
「私は罪を犯したのだろうか?」
私たちは日本というある種「特殊な環境」に生きている。それは「宗教多元社会」と言っていい。例えば、年初は初詣、年末はクリスマス、その前に最近はハロウィンが進出中―そんな感じである。
私たちキリスト者は、そんな状況下で福音を宣べ伝えなければならない。「信教の自由」が認められている日本では、多くの宗教が並列存在している。そして(ここが大切なのだが)日本人はこのような「宗教的多様性」を大いに歓迎している。要は「どの宗教も同じ」と、安心し、納得しているのである。ここに切り込んでいくのが「伝道」である。
キリスト者の先人たちは、この「宗教的多様性」を嫌悪してきた。それは西洋から来日した宣教師たちの影響が大きい。キリスト教の「独自性」を強調し、他宗教の欠点をあげつらい、唯一真の教えはキリスト教にしかない、と宣言し続けてきた。その結果、私たちの同胞はいまだに一パーセント未満である。
はたしてこれでいいのだろうか? 教会が無牧となり、牧師は兼牧となり、伝道諸団体が縮小化するなか、「武士は食わねど高楊枝」よろしく「クリスチャン少なし、されどアーメン」なのだろうか?
家に帰り、購入した本を読んでみた。ユーチューバー僧侶である著者が寄せられた質問に回答するというスタイルで貫かれ、ほとんどが人間関係の指南である。内容を一言でいうなら、「煩悩を手放そう」。コレ自体は珍しくない。仏教を少しかじった者なら、こういうことをサラッと言えるだろう。またアドバイスそのものは平凡である。私たちが相談を受けて、相手に思わず語ってしまう内容と大差ない(と私には思えた)。
しかし本書で秀逸なのは、著者が挙げている例話である。これが多岐にわたる。そして物語として面白い。さすがはユーチューバー。古今東西、いろんな人を取り上げてきたためか、登場する人物が多彩である。
同時に、「なるほど、ここでこんな言い回しをすると相手に伝わりやすくなるなぁ」という箇所がある。「この例話、今度私も説教で使おう」と思わされたところも数か所あった。乞うご期待……(笑)。
これで私が仏僧になろうと思うなら、本末転倒である。しかし、しっかりとキリスト教に根差しながら他宗教の語りや言い回しを知るなら、日本人マインドに寄り添える「言葉=言い回し」を身につけることができるのではなかろうか?
一番もったいないのは、「これは仏教の本」「これはキリスト教とは異なる宗教の本」と嫌悪して、それらを汚物のように忌避することである。考えてもらいたい。本屋に平積みになっているとはどういうことか? わずか数か月で二刷、三刷となっているのはどういうことか? それは人気があるということである。読みやすく、多くの人が共感を示すから、本は売れる。教えも伝わる。別に本を売るためではないが、「伝わる言葉で伝える福音」という観点から言うなら、私たちは「言い回し」という点で、他宗教からも学ぶべきではないだろうか?
今回から数回にわたって、「伝わる」ということにこだわってみたい。