時代を見る眼 378 聖書通読の楽しさをあなたに〔3〕

通読がもたらす信仰の益

厚木福音自由教会牧師 清水 顕孝(かねたか)

 当教会では年に1、2回ほど「聖書通読会」を開催し、3人1組になって聖書を読むようにしています。そうするようになったのは、1人で通読を続けるのが困難な人が多数いたからです。
 1人で通読を続けるのはなかなか大変です。登山であれば、大きな山に登るときには数名が1つのチームを作り、登頂に挑みます。通読もまた何人かと一緒に取り組んだほうが、格段に完読しやすくなります。
 1年を通じてコツコツと続けるのもいいですが、ある時期に集中してガっと読んでしまうのもひとつの手です。
 当教会では、5週から8週にわたってまとまった分量を読むように、ひと工夫を凝らしています。2020年には4つの福音書を前期(1月~3月)に、創世記から民数記を後期(10月~11月)に通読しました。翌年には申命記からルツ記を前期に、ルカの福音書と使徒の働きを後期に読みました。そんな調子で続けているうちに聖書の3分の2を読み終え、残すところ預言書(イザヤ書~マラキ書)と詩歌書(詩篇~雅歌)になりました。
 聖書通読会を数年続けたある教会員の方が、次のように話してくれました。「神様は自分に、聖書通読を通して聖書の神が契約に忠実な神であり、旧約と新約の神が同一の神であることをわからせてくださいました。ニュースを見ると希望が持てないこんな時代において、どう生きればいいのかを聖書に聴くようになりました」
 文脈をたどりながら聖書を読むと、創造主なる生ける神がどれだけ真実な神であるかに気づかされます。申命記を読むと、神は人と結んだ契約(アブラハム契約・モーセ契約)を忘れることなく、必ず果たされる、とあります。そして、ヨシュア記には、その契約の一部がたがえることなく成就する様子が記されています。このように、契約を必ず果たす真実な神が私たちの神であり、主なのです。
 聖書を広く読むと、旧約聖書に記されている神が決して恐ろしい神ではなく、実にあわれみ深く、恵みに富んだ神であることを理解するようになります。そして、神である主が雲の上にいる遠い存在ではなく、今まさに私たちとともにおられる身近な存在として、私たちを守り導いておられるという望みを抱くようになります。これこそが、聖書を広く読む時にもたらされる信仰の益です。