祈り祈られマリエリ交換日記 第7回
「苦しみにあったことは幸いでした」
神山美由記 嘉手納アッセンブリー教会 副牧師
裕香さんへ
「小さき者」への裕香さんの祈りと愛の実践、とても教えられ、励まされます。ふと思い出したのは、今から七、八年ほど前のこと。私が前任地にいた頃、ある事情で家庭から避難してきた母子家族を受け入れ、牧師館で一緒に生活したことがありました。ちょうどたまたま裕香さんと連絡を取り合う中で事情を話すと、すぐに裕香さんが住む鳩ヶ谷から小包が届いてびっくり。中にはお菓子や日持ちするパンなど! そのご家族に渡すと、それはもう喜んでいて。そんな母子家族の笑顔を眺めながら、こういった気遣いのできる信仰の先輩がいることがとても誇らしかったのを覚えています。私も見習わないと。
前回、里親になるまでの過程を少し書きましたよね。子宮外妊娠の手術やその術後、身近な方に経過を話し、気持ちを整理しながら少しずつ前に向こうとしました。しかし、「普通はこういう経験、そんなに赤裸々に話さないよね。伏せておくでしょ」と言われたりして落ち込み、またある方からは「だいじょうぶ、またすぐに妊娠するよ」とも言われました。「それは神様以外、誰にもわからないじゃない」と励ましのつもりでかけてくれた言葉さえ素直に聞き入れられず、悲しみと自己憐憫のトンネルの真ん中でうずくまっていました。そんな私を立ち上がらせてくれたのは、いつもの説教奉仕でした。
周囲からは心配されましたが、退院して二週間目には講壇に立って、いつものように説教したんです。普通はもう少し休むのかもしれませんよね。でも、どのタイミングで奉仕に戻るか考えていた時に、ふと思い出したのは、ある先輩牧師の言葉でした。
その先生も心身消耗していた時期があったようですが、「傷ついたまま、語る」と仰っていたのが印象的だったんです。当時の私には、なかなか不思議で、衝撃的な言葉でした。でも、「“癒やされてからの自分”で講壇に立たなくてもいいんだ。傷や痛みを抱えたままでもいいんだ。今の自分は“少し影のある”自分。だけど、その影の先に光る御言葉の希望は、順調な時よりも輝いて見えるかもしれない」と思えたのです。
むしろ傷んだ自分だからこそ、御言葉に対する飢え渇きはより一層強まり、「これ無くして立ち行かない」と思えるほど自分の大きな支えになっていることを実感しましたし、奉仕の一環で向き合った説教の御言葉一つ一つに、私自身が大きく養われ、生かされていったのです。
それともう一つ、この経験を経て感謝だったことは、同じような経験で涙を流す人たちの傍らに立って、共に泣けるようになったことです。
教会にも流産や不妊に悩み、苦しんできたメンバーがいます。そういう人たちの話を以前よりももっと身近に聞くことができ、心合わせて祈ることができるようになりました。
「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。
それにより 私はあなたのおきてを学びました」(詩篇119・71)
試練と思える出来事は、その時は小さな点のようです。何のためにそれがあるのか、人生における意味もわからないまま自分自身が闇に閉じ込められたかのように思えますが、優しい主の御手の中で、「この時のためにあの経験が活かされたのね」と、点と点が線のように繋がる瞬間があって、自分だけの出来事ではなく、他者の励ましや慰めとして神様が用いてくださる有益な体験としてくださることに、心から感謝しています。人生に無駄なことはひとつもないですね。
それともう一つ、私に笑顔を取り戻してくれたのは教会に集う子どもたちや、チャプレンとして携わっている幼稚園や保育園の園児さんたちでした。楽しそうに賛美する姿や、一生懸命お祈りする小さな彼らの信仰の姿に大いに励まされたのと同時に、私たち夫婦には子どもは与えられていないけれど、神様から託された幼い魂はこんなに大勢いる、ということに慰めを得たのです。
裕香さんは、昨年大好きなお父様を天に送られましたよね。病がわかってからあっという間のことで、とても深い悲しみだったと思います。あれから一年。親を見送るという喪失からどのように立ち上がられたのか、聞かせていただけないでしょうか?