連載 神への賛美 第11回 ヨハネの福音書と賛美(5)

向日かおり むかひ・かおり
ピュアな歌声を持つゴスペルシンガー。代々のクリスチャンホームに育つ。大阪教育大学声楽科卒業、同校専攻科修了。クラシックからポップス、ゴスペルまで、幅の広いレパートリーを持ち、国内外で賛美活動を展開している。

 

無惨に掲げられたその体。手と足に釘。木に打ち付けられ、多量の出血。体が下がり、首が胴にめりこみ、呼吸困難。どうにか懸垂して息をする。が、それができなくなった時、死は訪れる。十字架刑。当時の極刑。苦しみ悶える姿は衆目に晒され続け、叫びあえぐ姿もすべてむき出しのまま。
約二千年前、その人の上には「ユダヤ人の王 ナザレ人イエス」と書かれていました。
裁判官だったピラトは民衆に言いました。「私はあの人に何の罪も認めない」(ヨハネ18・38)。しかし人々は言い放ったのです。「除け! 十字架につけろ!」
昔、バッハのヨハネ受難曲を演奏したことがあります。民衆たちが狂ったように叫ぶそのシーン。バッハは壮絶な合唱曲として表しました。歌いながら、自分もその場所にいるかのような緊迫した臨場感を味わっていました。
そう、「十字架につけろ!」と言ったのはまさしく私自身。主が背負った罪は、私の、すべての人のものだったのです。
しかしその私たちに、主はおっしゃいました。
「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。」(ヨハネ10・28)
「除け!」と言った私自身を主は赦した。何をしているかわからない私を、存在ごと根こそぎ赦した。そして、罪の報酬である「死」の代わりに、「永遠のいのち」をくださった。私たちはもう主のもの。「だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません」とは、なんと熱い愛の告白でしょうか。

私は体調を崩しやすい面を持っていますが、特に動けない期間がありました。痩せ細り、体を起こしてもばったり倒れる。「なんでこんな……。」布団に横たわり、何もできない自分に絶望し、茫然とセミの声を聞いていました。すると小さな細い声がこう言うような気がしたのです。
「まだ起きられませんか? わたしと一緒にいましょう。」
「えっ?」と思いました。「これは神様?」 しばらくびっくりしていました。でも、感動が深いところからこみ上げてきました。神様は、動けない私を怒っていない。怠け者とは言わない。本当に赦してくれている。本当にそばにいる。人はなじるかもしれない。離れていくかもしれない。でも神様はずっと変わらない。
その時、主は私に、十字架のもっと深い意味を表してくださったように思いました。十字架の赦しは、最低最悪だと思う、まさにそこにあると。誰にも見せられないところにあるのだと。そう、十字架は、人間にとって最も悲痛なところに。忌まわしいところに。叫びがもう誰にも届かないかのようなところに。もう、終わった、と思われるところにあるのだと。
「完了した」(ヨハネ19・30)。
十字架上のイエスさまのことば。人間の絶望の中に下りてくること。罪と死の中に下りてくること。その人を救うこと。イエス様はそれをなさいました。釘付けになるということは、もう動けない。もう動けない愛が、私たちと共にある。ここに深い本物の平安があります。
私たちは最低最悪なところでも賛美します。そこに主はおられるからです。想像もつかないような底の底にも主はおられ、大きな主の御腕がこの世界を支えている。だからどんな状況であっても、その主に安息し、賛美します。
賛美は、涙の谷を通る時もそこにあります。深く長い沈黙を伴う時もあります。
医療少年院で賛美したことがあります。そこにいる少年少女たちは、自分たちは罪を犯したということを誰よりもよく知っています。だから本当に赦されるのか、とてつもなく真剣でした。こちらの体に穴が開くかと思うほどに見つめられ、そのまなざしの前で主を讃え、十字架と赦しを賛美する。その時ほど、自分にはない力を求め、そして感じたことはありません。
紛争の絶えない国境線での賛美。歴史的な傷跡のある場所での賛美。さまざまな被災地、涙が取り巻く棺の前。どうしようもない場所。そこに主はおられます。人間にはもう手の施しようのない場所。そこに主はおられます。十字架の及ばない悲しみなどなく、十字架に赦せない罪はない。
かつては「十字架につけろ!」と叫んだ口が、今は「十字架は慕わしい」と告白する唇に変えられる。十字架によって、誰もが、ほんとうにすべての人が、賛美する恵みに招かれているのです。
愛はどん底にこそ訪れるのです。