書評books 神の救いの御計画の中で子どもの信仰を見つめる
神戸改革派神学校専任教授 吉岡契典

『子どもたちを、わたしのところに来させなさい イエスの招きと約束』
ステファン・E・スモールマン 著
老松 望 訳
B6判・46頁
定価770円(税込)
いのちのことば社
名著は往々にして小著であることがある。この小著には、百頁を超える大著に劣らぬ深い問いと語りかけが満ちている。
訳者の老松望氏は、本書作者の教派的背景(幼児洗礼を肯定する長老派)とは異なる立場から、過日二〇二四年の福音主義神学会西部部会春季研究会議にて信仰継承について講演する際、邦文関連参考文献の少なさに驚きつつ本書を手に取り、翻訳を決意された。そのような訳者の開かれた視野と学び続ける姿勢が、本書の翻訳出版を可能にした。
本書は、自らを幼児洗礼について語る書物ではないとしつつ、幼児洗礼肯定・否定論の綱引きという小さな枠に収まらず、信仰者と教会共同体の根本を問う議論を展開する。そこでは信仰継承が、個々人の子どもたちに対してそれぞれの親が施す個人的な事柄としてではなく、教会共同体、世代という観点、さらには神の救いのご計画に基づく契約という大きな文脈における、神の選びと救いの約束の中に据えられる。
その枠組みの中で子どもたちを信仰へと導く際、そこでは、子どもたちのあり方に焦点を置き、いかに効果的に子どもたちに福音を伝え、いかなる方法とタイミングで回心を迫り、子どもを本物の「救いの確信」へといかに導くのか? という関心は後退し、反対に、親たちが自らのあり方に目を向けることが、より重要であるとされる。親たちは、自らの限界を認識するがゆえに神への信頼と祈りへと導かれる必要があり、子どもたちに要求をする以前に、自らの神と教会に対する信仰、献身、誓約(コミットメント)を再考することを求められるのである。
また本書は、神の恵みによる再生が、子どもの自覚的・信仰的回心体験以前に、神のご計画によって、それに先立って子どもの中に生じているという改革派教会の理解を提示し、再生と回心を区別して考えることが、子どもの信仰を健全なかたちで見守り育むためには必須であると語る。目から鱗の気づきではないか。
