新連載 祈られて、がんと生きる ボクと牧師の24の往復書簡 第五回 泣くこと

大嶋重德
1997年からキリスト者学生会(KGK)主事となり、学生伝道に携わる。KGK総主事を経て、現在、鳩ヶ谷福音自由教会牧師。太平洋放送協会(PBA)ラジオ「世の光」メッセンジャー。

峰岸大介
鳩ケ谷福音自由教会教会員。2013年から胸腺がんを患う。東日本旅客鉄道株式会社勤務。
妻と3人の娘の5人家族。

 

大介さんへ
大介さんは元柔道部です。痩せてしまった今は、柔道部の面影はありません。しかし、心はいつも体育会系です。
その大介さんが泣きながら「私の家族をよろしくお願いします」と言うのは、相当の勇気がいったことだと思います。しかも、自分よりも年下の牧師にです。前任牧師の風格からすると、私はいつも弱音を吐きますし、頼りない新米牧師でした。
大介さんは、あそこで「私の家族をよろしくお願いします」と神様に言ったのだと思います。自分の病気と、自分の人生と、何よりもだれよりも愛し大切に思ってきたご家族を、神様にゆだねることができた瞬間だったのだと思います。
大介さんから、神を信じるとはこういうことなのだなと教えられました。自分の人生に関わる大いなる力が働いている。そして、この神が全世界を創造され、今も一人ひとりのために、全力でこの世界を「良くしよう」と働いておられる。

 

しかし、です。だからこそ、「それならば、どうして自分の人生にこんな病気が起こるのか」と神様に言いたくなるでしょう。
しかし神がいない世界で病気になる時、そこで人は自分の人生の不運を嘆くよりほかありません。あるいは自分の不摂生を顧みて、後悔するよりほかありません。がんになったのは、だれかが悪いのではありません。ただ今はわからないけれども、神がおられ、神が働かれ、神の御手の中で起こっていることだと受け止めることができるならば、私たちは神に向かって「どうしてですか?」と叫ぶことも嘆くことも、泣くこともできます。
そこで人は自分を責めなくてもよくなります。家族を責めなくてもよくなります。自分の不運な人生を呪うことをしなくてもよくなります。
私もあの時「神様、どうしてですか?」と祈りの中で、神様に怒りました。なぜならば神様に腹が立ったのです。
「どうして、まだ大介さんの子どもたちも小さいのに、まだ成長を見届けていないのに。神様、どうしてこんなことをするんですか」
怒りの祈りが、次から次へと湧いて出てきたのです。私の涙は同情の涙ではなく、悔しさの涙でした。怒りながら泣いて、祈りました。
しかしそんな祈りをも、神様は受け止め、聴いてくださる。私たちの心からの吐露を引き受けてくださる。そして「わたしの前で泣きなさい」と言われるのです。「あなたのその目の涙をわたしが拭うから」と。

 

あの時神様は、おじさん二人の涙を泣いたままにしてくださって、そして私たちの目の涙を拭ってくださいました。
泣いて、泣いて、あの後一緒に行ったラーメン屋は美味しかったですね。
ああいう時は体に悪いものを食べたほうが、元気が出るのです。