スポーツミニストリーの挑戦 第4回 スポーツがミニストリーに

蔦田聰毅
インマヌエル堺キリスト教会牧師
スポーツネット関西/大阪・主事

千葉、埼玉、神奈川、東京とずっと関東育ちだった私が、台湾で宣教師をした後、一九九七年四月に大阪・堺の教会に任命され二年が過ぎたころ。教会員関係者とはだんだんと知り合っていきましたが、それ以外の友人・知人がまったくいない中、「自分の友人を誘って教会に連れてくる」ということがこの二年間なかったかな……、とふと気づきました。学生時代のほうが自然にそうできたのに。教会の皆さんも友人や家族を教会に誘おうとしているのだから、牧師もチャレンジしなくちゃ、と思いました。でも、大阪には私の普通の「友人」がいません。また、日本では特にそうなのか、「牧師」というと、一般の人からはちょっと特殊な目で見られてしまうことも感じます。
そんな中、自分の健康と友人獲得のため、地元紙の広告を見てフットサルを始めたのが、二〇〇一年一月のことでした。医師から継続的に運動することを勧められ、ジョギングやウォーキングも考えましたが、意思の弱い私は忙しさを理由に休んでしまうでしょう。その点、仲間がいて、励まし合える団体競技のほうが自分には合っています。
フットサルは週一回、月曜夜の集まりでしたが、皆と仲良くなるのに時間はかかりませんでした。ちなみに私のクリスチャンネームが「ベンジャミン」なので、普段からチームメイトには〝BJ〟と呼ばれています。が、牧師であることは黙っていました。フットサルを始めて半年経ったころ、日曜日にみんなで何かをしようという話が出た際、「クリスチャンなので、日曜は教会に行くから」とパスすると、「へぇ~、BJさんクリスチャンだったんだ。そういえば、そんな感じだよね」と口々に言われました。そう言ってもらってよかった。少なくとも、「クリスチャンのくせに……」じゃなくて。
さらに半年経って、チームメイトをクリスマスに教会へ招待すると、彼らは初めて私が牧師であることを知って驚きました。「え? BJさんて本物の牧師さん?」(偽者っているんでしょうか)「牧師さんの知り合いなんて初めてや。なんかうれしいわ」(こちらこそです)「おれの叔父さんが神父さんしてるよ」(あ~、それであのミッションスクールの事務員をしてるんだ)「牧師さんて食べていけるの?」(今もこうして元気に生きてます)「ねえ、神様って本当にいるの?」(もちろんですっ!!)
毎週、フットサルで楽しく一緒に汗を流し、すでに友人となった今、私が牧師だと急に知ったからといって、よそよそしくなる人はいませんでした。逆に、牧師に、教会に、キリスト教に、結構関心を持っていたり、誤解したりしているんだ、ということがよく分かりました。
「この人牧師さんやで」なんて、他の人に紹介してくれたり、プレー中の判定の難しいときに、「マイボール!」「いや、こっちのマイボール。BJ、どっちやった?」「ほら、神様が言うてるんやから間違いないで」なんて使われ方をしたり。時には冗談で、「牧師さんがそんなド派手なプレーしたらあかんがな」みたいなことも言われます。そうやって、徐々に、教会やキリスト教が遠い存在ではなくなっていったようです。

    *

そんなチームメイトの中に、ある市議会議員の事務所で働いていたM氏がいました。そして、議員の子どもが通う小学校でサッカーを指導してくれる人を探しているという話が私のところに来たのです。
高石市内の全七つの小学校にはすべて課外サッカークラブがあり、市内の大会が年三回あるほど盛んであること。その中の高陽小学校を指導していた先生が家の都合で続けられなくなり、学校では廃部にする方向だが、保護者や児童から存続の熱烈な要望があること。もし責任をもって毎朝指導してくれる人がいたら、学校としても続けたいと言われたこと。でも会社員などには無理な話。それでM氏は、「牧師なら何とかなるかも」と、話を持ってきたわけです。
校長、教頭、保護者代表と面接をした後、ぜひと請われて、サッカークラブの指導を引き受けました。金曜には教会の早天祈祷会があるので、月~木曜の朝七時半から八時十五分まで、毎朝、小学校に通うことになりました。かつては子ども対象の教会のチラシを配りにいっては、変な目で警戒されていたのに、今や頼まれて、ほぼ毎日公立の学校に通い、子どもたちと直接触れる機会を与えられたのです。スポーツって不思議ですね。M氏はその十年後、イエス様を信じてクリスチャン、M兄になりました。

ぜひ全国のスポーツミニストリーで、相互協力できればと思っています。
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