372 時代を見る眼 戦後80年、次世代へつなぎたい願い〔3〕 世界教会の交わりを生きる
バイオエシックス(生命倫理)研究者
早稲田大学名誉教授
木村 利人
戦後80年のうちの75年をキリスト者として生きてきました。
終戦時、11歳の少年は、今年91歳を迎えました。開戦時のラジオの臨時ニュースを聴きながら、「この戦争には必ず負ける」と僕に語りかけたクリスチャンの伯父の影響もあり、敗戦後の翌年に入学した中学(旧制)の「聖書研究会」で学びました。神の真理のことばに聞き従い、生まれ変わる決心で、1950年のクリスマスに富士見町教会で洗礼を受けたのは、16歳の時でした。聖書の語る「平和を実現する人」になりたいと心から願いました。
キリストとの出会いにより「新しい天と新しい地」(ヨハネの黙示録21章1節)に生き、信仰と学問との研鑽を続けてきました。
タイ(5年)、ベトナム(2年)、スイス(3年)、アメリカ(22年)、日本(早稲田大学に19年、恵泉女学園で6年)と世界各国の大学や研究所をはじめ、ジュネーブの国連人権部やWHO、UNESCOとも連携して、バイオエシックス研究を国の内外で展開してきました。「バイオエシックス(生命倫理)」のパイオニアとしての困難な歩みの展開が可能となったのは、ただただ神による導きと祝福の賜物です。
91年の人生で、いつも耳元に響き、家族ともども声高らかに歌い続けてきたのは、讃美歌「わが行くみち いついかに なるべきかは つゆ知らねど 主はみこころ なしたまわん。そなえたもう 主のみちを ふみてゆかん ひとすじに」(494番)でした。
人生の約三分の一を占める海外各国での生活では、いつも母教会をはじめ、滞在国での主にある交わりと支えによって生かされ、特に、1972年からの家族を伴ってのスイスの3年間は、僕たち一家の主にある人生の原点となりました。
ボセイ・エキュメニカル研究所副所長として世界教会協議会(WCC)から招かれ、同時に併設大学院(ジュネーブ大学と連携)教授として、僕は「人権論」を担当し、毎年9月からの約半年間、全寮制(約50名)での学びに集った世界諸国のキリスト者の学生たちと語り、学び合いました。
アジア、アフリカ、中南米、米、欧(当時は東・西)、大洋州(オセアニア)など、世界の多様な伝統により育まれた、キリスト教の諸教派の学生たち。チャペルでの朝礼拝に始まる生活を共にしての、平和を実現する人となるための世界教会の交わりの体験を、これからも大きく生かし続けていきたいと思います。