新連載 祈られて、がんと生きる ボクと牧師の24の往復書簡 三回目 「泣いてきなよ」という強さ
大嶋重德
1997年からキリスト者学生会(KGK)主事となり、学生伝道に携わる。KGK総主事を経て、現在、鳩ヶ谷福音自由教会牧師。太平洋放送協会(PBA)ラジオ「世の光」メッセンジャー。
峰岸大介
鳩ケ谷福音自由教会教会員。2013年から胸腺がんを患う。東日本旅客鉄道株式会社勤務。
妻と3人の娘の5人家族。
大介さんへ
裕子さんとは、学生の頃からのお付き合いだそうですね。裕子さんがクリスチャンだと知った時、どんな印象を持ちましたか? 大介さんから裕子さんを追いかけたと聞いています。そして、裕子さんと結婚するためには、クリスチャンにならないとなと思ったんですよね。
裕子さんと出会ったことにより、始まったクリスチャン生活は、大介さんにどんな意味をもたらしたでしょうか。
裕子さんは聡明な人だと思います。「大嶋先生のところで泣いてきなよ」などとなかなか言えません。泣くのなら私の前で泣いてほしいと思うのが、一緒に寄り添ってきた妻の思いなのではないかと思います。
しかし、あなたは一度も裕子さんの前でも、子どもたちの前でも泣きませんでした。柔道部出身のあなたは「男は泣いてはいけない」と言われて育てられ、自分でも泣けなくなった人だからです。
裕子さんはだれよりもあなたのことをよく知っている。泣けないままだと、大介さんがいつかは壊れてしまうと思われたのでしょう。
妻の前で泣けない男の気持ちを教えてください。
そして大介さんにとって、裕子さんはどんな人ですか。裕子さんじゃなかったら、大介さんはこんなにも闘病できなかったのではないかと思います。裕子さんと少しでも一緒に生きていきたいと思っていたから、大介さんはここまでがんと闘えたのではないかと思います。
大介さんは、がん細胞も愛には勝てないことを教えてくれました。
教会で、大介さんが裕子さんを探している光景をよく見かけます。ずっと好きでいられる人と結婚できて、大介さんは本当に幸せですね。
そして裕子さんは、自分の泣ける場所を持っているのだと思います。だからこそ、泣けなくなっている大介さんが心配だったのでしょう。特に教会の女性たちは、裕子さんから祈りの課題を聞いて、いつも毎日心を込めて祈ってくれています。
しかし、私もそうであったように、多くの男性は自分の属する社会的プレッシャーを抱え、自分の弱さを出せず、人からの祈りを素直に求めるのも、泣くのも下手です。
そして「祈ってください」と言うのが下手だと思います。「こんな個人的なことを祈ってもらうのは申し訳ない」とも思う。
あるいは「祈ってほしい」など、弱い者のすることだと思っている節もあるでしょう。
しかし、人は強くはありません。支えられ、助けられやすい人であるべきです。
裕子さんは神様の前で泣いている人です。どれだけ礼拝中に裕子さんが泣いておられるか、大介さんは隣にいて知っていますよね。
神様の前で泣いているあの裕子さんの時間が、愛する人の闘病を支えることのできる時間になっているのだと思います。