特集 神の恵みに生きる

シンガーソングライター 福原タカヨシ

 

誰かが同じ方向を向いて、そこに「いてくれる」だけで、支えられる恵みは存在しているのだと思います。
一九七七年、私は神奈川県川崎市でクリスチャン二世として生まれた。高校一年生の春、洗礼を授かり、その後、大学では神学を学んだ。五歳年上の姉は、幼少期よりクラシックピアノを習い、音楽大学にまで進んだが、私は感覚人間そのもので、そのほとんどを独学で歩んできた。そんな自分がなぜプロの音楽家になれたのか、本当に不思議なことだ。

 

これまでを振り返ると、特に音楽家として歩み出してからの人生には、特別な出会いがあった。出会いが道を拓き、私を育て、支えてくれた。もちろん、私自身が切磋琢磨し、積み重ねてきたものもあるだろう。しかし、それらをはるかに超えた一方的な神の恵みとあわれみによって私は導かれ、今の私がある。

 

二〇一五年三月、ちょうど十年前のある春の日、私はそれまで体験したことのない恐怖と痛みの中にいた。その日、訪れた教会の駐車場で車から荷物を降ろしていると、突然後方から轟くエンジン音が聞こえた。次の瞬間、ものすごい衝撃と激痛が私を襲った。私の足は、自分の車と後方から猛スピードで突進してきた車に挟まれ、身も骨もぐしゃぐしゃになった。
怪我の状態から、両足を切断することもやむをえないという状況であったが、適切な治療と多くの方の祈りによって、私の足は奇跡的に切断することなく残された。当初は「歩行機能はもう戻らないだろう」というのが主治医の見立てで、この先、自分がどこまで回復するのか誰にもわからなかった。それでも、ほんの数ミリ、親指を微かに動かすことができたことが、私にとっては大きな喜びだった。
事故直後からの一か月は、ひたすら痛みに耐える日が続いた。誰もこの痛みを代わってはくれない。「この苦しみは、きっと誰にもわからないだろう」と孤独を感じたこともあったが、そんな呻きのような心の叫びも、祈りへと変わり、やがて私の心に陽だまりのような安らぎを与えてくれた。それは恐れも痛みも、何ものも奪い取ることのできない確かなものだった。私は、完全に無力な存在となって、「弱い時にこそ強い」という聖書のみことばを心底噛みしめた。

 

幼少期より教会に通い、聖書に触れてきた私には、生きていく上での〝教訓”のようなみことばがいくつかある。「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒二〇・三五)というみことばもその中の一つだが、ここには大きな「前提」があると思っている。
たとえば、りんごを三つ持っている人が、誰かにそれを分け与えることはできる。二つ持っている場合も可能かもしれない。しかし、もしも自分が必要なだけしか持っていない場合、自分を差し置いて誰かにそれを与えることはできるだろうか?
「与える幸い」は、まず自分が「与えらえている恵み」に気づき、その恵みの中で満たされていくことから始まる。私の愛唱歌「望みも消えゆくまでに」(聖歌)では、〝数えよ主の恵み”と歌う。日々自分に与えられている祝福、恵みを数えてごらん。そこに安らぎ、喜びがあるから、と。「わたしの恵みはあなたに十分である」(Ⅱコリント一二・九)という聖書のみことばもまた、その意味を教えてくれている。不足を嘆き数えているうちは、誰かの必要など目には入ってこない。昨今の社会に蔓延する他者への無関心や生きづらさは、そういった心の飢え渇きが生み出しているようにも思えてならない。

 

事故(怪我)の体験を通じて、身体的な機能の一部を私は失った。事故前の健常な身体も今はない。子どもたちと思いっきりかけっこをしたりすることも、しゃがむこともできなくなった。長時間立っていると、右膝が腫れて痛みを感じる。足を庇って、今度は腰に痛みが出てくる。こうして失ったものを数えることは容易だが、私は、今、与えられている恵みを数えていきたい。事故後、初めて生まれた曲で、私はこんな歌詞を書いた。

 

哀しみを見つめないで
 喜びを数えれば
見落としてきた世界が
 鮮やかに映るんだ
思い煩う そんな時でも
Take it easy
 明日が見えなくても  
Take it easy
 忘れないで
光はどんな時も注がれている
      (曲「Take it easy」より)

 

入院中、病室のベッドから起き上がり、初めて自分の足で歩いてトイレに行けた日、私は泣いた。こんなにも嬉しいことがあるだろうか、と。当たり前なことなど、何一つない。その奇跡に感動して生きるとき、私たちの人生は喜びに満ちたものになるだろう。
「受ける幸い」とは、すでに受けている恵みに気づくことであり、その喜びが溢れ流れて誰かに届くとき、私たちは、初めて「与える者」となりえるのではないだろうか。主の愛を両手で受け取り、また主が与えてくださる出会いの中でこれからも支えられ、溢れ出る恵みを歌にのせていきたいと心から願う。