新連載 ニャン次郎の哲学的冒険 人間社会を生き抜くための西洋哲学入門 第2回 疑いの果てに! 理性を信頼した哲学者 デカルト

ニャン次郎(代筆・岡村直樹)

 

ニャン次郎(主猫公)
クリスチャンで大学生の飼い主を持つ茶トラ猫。哲学の授業で困っている飼い主を助けるため、歴史上の様々な哲学者に直接会って話を聞く旅に出ることに!
岡村直樹(代筆者)
ニャン次郎の代筆者。
東京基督教大学の先生で、出身校であるトリニティー神学校ではキリスト教哲学を専攻。

 

こんにちは! ニャン次郎です。
ボクの飼い主のお兄さんは、「近現代の西洋哲学」というクラスで教わった「デカルトの合理主義」を、クリスチャンとしてどう受け止めたらいいかわからず、とても困っています。そんなお兄さんを助けるため、今回は、「近代哲学の父」とも呼ばれるデカルト先生に会ってお話を聞いてきました。
デカルト先生(一五九六〜一六五〇年)は、フランスのラ・エーという町の裕福な法律家の家庭に生まれました。ちなみにこの町の名前は、一九六七年に「デカルト」に変更されています。自分の名前が町の名前になるなんてすごいですね。フランスの名門カトリック学校で学んだ後は、オランダで従軍技術者になったり、ヨーロッパ各地を放浪したりと多彩な人だったそうです。
デカルト先生が生きたのは、「科学革命の時代」(一六〜一七世紀)のど真ん中でした。「自然界を科学的に理解して支配する!」という世界観が広がり、「天動説」を唱えた天文学者のガリレオ・ガリレイさんや、「知識は力なり!」と主張した思想家のフランシス・ベーコンさんが活躍しました。また学問に対するカトリック教会の影響力が次第に弱くなり、研究や思想の自由も広がりつつありました。社会全体が、「人間の理性すごい!」「科学最高!」と感じはじめていた時代です。
そんな時代に活躍したデカルト先生は、とてもユニークでした。とりあえず、すべてをまるごと疑ってみることから哲学を始めたからです。これを難しい言葉で「方法的懐疑」と言うそうです。先生はこう言いました。
「ニャン次郎くん。今キミは起きているかい?」
「はい。」
「そう、目が覚めていると思っているよね。でも今、キミの目の前に広がっている光景は夢ではない、という証拠はあるかい?」
「おヒゲを引っ張ったら痛いというのはどうでしょう?」
「うん、でもそれも夢の一部かもしれないね。」
「確かにそうですね。」
「疑おうと思えば、疑えちゃうよね!」
こんな感じで先生は、人間やネコの感覚や経験、さらには数学や幾何学さえも疑ったそうです。時には悪意のある霊によって騙されているかもしれない、という可能性すら考えたそうです。疑って、疑って、そして最後に辿り着いたのが、「でも、今ここで疑っている自分の存在は疑いようがない!」という結論でした。「今考えている自分」がもしいなかったら、「その考え自体」も存在しないからです。これが、かの有名な哲学のフレーズ「我思う、ゆえに我あり!」の正体です。
そして、確実な出発点から数学の証明のように、理性を用いて様々な真理を次々に導き出していきました。デカルト先生は、理性は確実な知識の源であり、真理の探究において最も信頼できると考えました。これを難しい言葉で「合理主義」と言います。
デカルト先生は、人間の理性を用いれば、神の存在も証明できると考えました。そして人間の理性の背後には、誠実な後ろ盾としての神がおり、そのような神が、この世界を保証していると主張しました。
では、デカルト先生の考えは、伝統的な教会の教えと一致していたかと言えば、残念ながらそうでもありません。先生は、「理性と信仰は矛盾しない」と語りましたが、明らかに信仰より理性を強調しました。一方教会は、理性よりも信仰を強調します。また、デカルト先生の考える神は、創造した後の世界に個別的に働きかけることはしません。一方教会では、人間を愛し、日々の人間の営みを助け導いてくださる神、親しい神(人格的な神)が語られます。これらは大きな違いですね。
でも、科学革命の時代の中で、キリスト教的な全知全能なる神の存在と、人間の理性を用いた真理の探究を調和させるという難題に、一生懸命に取り組んだことは素晴らしいと思います。
ということで、これからお兄さんに報告します。
次回は、「考える葦」や「クレオパトラの鼻」で有名なパスカル先生に会いに行きます。
どうぞお楽しみに!
ニャン次郎でした。