新連載 けっこうフツーです―筋ジスのボクが見た景色

第1回 重度障害者として、クリスチャンとして

黒田良孝
(くろだ・よしたか)
1974年福井県生まれ。千葉県在住。幼少の頃に筋ジストロフィー症の診断を受ける。国際基督教大学卒。障害当事者として、大学などで講演活動や執筆活動を行っている。千葉市で開催された障害者と健常者が共に歩く「車いすウォーク」の発案者でもある。

朝、目を覚まして最初に耳に入ってくる規則的な呼吸音。しかし、これは自分のものではありません。自力で呼吸をすることができない私は、十八年ほど前から人工呼吸器の助けを借りて生きています。つまり、機械が作り出す呼吸のリズムこそが私の生きているしるしなのです。呼吸機能に障害がなければおそらく意識することがなかった生命のリズムが、私に「生きる」ことの意味を突きつけます。一度は失ったはずの命が、途切れることなく今日までつながれていることの不思議を思います。現象として見れば機械に生かされているのですが、ここにたどり着くまでの紆余曲折を考えると、決して偶然ではなく神様に生かされ、与えられた命なのです。

私は千葉県に住む四十五歳の筋ジストロフィー症患者です。全身の筋肉が動かせずほとんど寝たきり状態で、二十四時間介護ヘルパーに身の回りの世話をしてもらっています。一昔前なら天井を見上げることしかできない療養生活を強いられていたことでしょう。私はクリスチャンです。教会との関わりは小学校低学年からで、中学生のときに受洗してクリスチャンの仲間入りをしました。
現在は親元を離れてグループホームに入居しています。といっても施設のような建物ではなく、街なかの普通のアパートです。重度障害者ではありますが地域の中で自分らしい生活を営み、クリスチャンとして教会にも通っています。これはひとえに周囲の支えによるものです。生活のすべてを支援してくれるヘルパーはもちろん、心の支えとなってくれる家族、そして日々の祈りで私のことを心に留めてくださっている教会員の皆様、その他多くの方々に助けられて私は生きているのです。

生まれつきの病とともに年齢を重ね、二十八歳のときに人生の大きな転機、どん底の状態というものを経験しました。呼吸機能が弱っている中で風邪を引き、痰を気管に詰まらせてしまったのです。心肺停止になり死線をさまよいました。奇跡的に蘇生するも気管切開による人工呼吸器装着を余儀なくされます。その後、東京での自立生活の断念、劇的な体力の低下、不本意な帰郷、孤独な在宅療養とひきこもり生活と、すべての不幸が押し寄せてきたかのようで世界から見捨てられたような感覚になりました。その当時はマイナスの出来事ばかりに目を向け、「どうして自分だけが」との思いしかありませんでした。歪んだ心の状態が長く続いたことで、生きることの意味を見失い、ここから逃れる術は“死”しかないのではないかとさえ思うようになりました。

“死”による解放を求めていた頃は、神様からいちばん離れていた時期でした。この試練のときに、未熟な信仰者であった自分は、なくしたものにとらわれ、神様からの恵みに気づかなくなっていたのです。子どもの頃からキリスト教に触れてきて十二歳で受洗していながら、最も苦しいときに救いを求められなかったことを恥ずかしく思います。しかしながら、神様から、そして教会から離れていても、ここに救いがあるのかもしれないという思いは捨てきれませんでした。
いま、病状の最もつらいときを乗り越えて半生を省みたときに、不幸ばかりと思えるような出来事の中にも恵みがあったり、トータルで見てみるとよい方向に導かれていたり、「神様の御手の中にある」という言葉や「神のご計画」といったものの意味がおぼろげながらわかってきたような気がします。スロースターターの私ですが、やっと素直に「求める」ことができるようになりました。

そんなときに連載のお話をいただきました。これは神様のお導きにほかなりません。連載を通じて、落第クリスチャンのこれまでの歩みと重度障害者の生の声を伝えていきます。このことを通じて多様なクリスチャンがいるということを知っていただき、信者の皆さんには、多様な立場の人を受け入れる、開かれた教会を作り上げていってほしいと願います。また、重度障害者についての理解を深めてください。特別ではない普通の人間だということがわかります。