連載 ひきだしの中の信仰 第3回 春は、待つ

イラストと ことば
林 くみこ
グラフィックデザイナー。「よきおとずれ」を運び、互いに祝福し合うために用いてください、という願いをこめて、聖書のメッセージやみことばからイメージしたイラストのポストカードをゆるゆる制作中。東京・奥多摩にあるクリスチャンキャンプ場・奥多摩福音の家スタッフ。

 

今月の聖句
時が来れば、ヤコブは根を張り、イスラエルは芽を出し、花を咲かせ、世界の面を実で満たす。

 

牧師をしている友人が、みことばを語る時に福音とは何かを語るようにしている、ということを教えてくれた。それならばと、自分でも聖書を開く時には「福音とは何か」を考えるようになった。そうして旧約聖書・創世記のヨセフの生涯の中で、すべてのことを益とされた神の偉大な計画にたどり着くよりずっと前、ヨセフがエジプトに来た初めから何度も繰り返されている「主がともにおられた」(39章)という言葉に目が留まった。神がともにおられる、これこそが慰め、福音だと考えるようになった。
「球根の中には」(『讃美歌21』575番)は情景が想像できる美しい讃美歌だ。今は見えないけれど約束された時への期待と希望を感じる。特に「寒い冬の中 春はめざめる」という歌詞からは、枯れ枝に芽を探しながら春の訪れを待つ姿をイメージしていた。けれど、もとの英語の歌詞を直訳してみると「冬の寒さと雪の中で、春がめざめを待っている」なのだ。なるほど、わたしが春を待つのではなく、すでにそこにある春のめざめの時に立ち会うようだ。歴史を貫いて神はいつもそこにおられ、わたしたちは、約束の時を待っているのではなく、神の約束の中に生きている。
あまりに大きく、広く、深く、豊かな神さまのメッセージを表現することは初めから無理なのだと思う。ただこの小さな絵をきっかけに、一人ひとりがもつ神さまとの歴史を通して、主がそれぞれに必要なメッセージを語ってくださることをいつも願わずにはいられない。