連載 京都のすみっこの小さなキリスト教書店にて 第10回 教会と虐待とキリスト教書店 #3

CLCからしだね書店店長 坂岡恵

略歴
社会福祉法人ミッションからしだね、就労継続支援A・B型事業所からしだねワークス施設長。精神保健福祉士。社会福祉士。介護福祉士。2021年より、CLCからしだね書店店長。

書店には、カトリックやプロテスタントの出版社の本、キリスト教の要素が含まれている一般書など、キリスト教関連の幅広い本が入ってきます。私自身の所属する教会の基準からは「ちょっと、合わないな」と思う本もありますが、それはそれで自分が今まで触れてこなかったキリスト教の幅広さを知るチャンスをいただいたと感謝して、何か得るものがあれば受け取り、「やっぱり違うな」と思った時は、自分が立っているベースを再確認できたことを感謝します。
いずれにせよ、私の聖書解釈やキリスト教観がつねにベストだとは全く思っていないし、そう思い込んではいけないと考えているので、様々な本が棚を飾るキリスト教書店で働くことができるのは、とてもありがたいことだと思います。
書店を引き継ぐ時、前の店長さんから「『うちの教会の信徒が来ても、この教派の本は売らないようにお願いします』とおっしゃる牧師さんがいるんですよ」と、書店裏話的な話を聞いて驚きました。さすがに今、そんな無茶ぶりをする牧師さんはおられませんが、当然のことながら、書店では自分の教会のだれかれに遠慮することなく、もちろん名前なんか名乗る必要もなく、いろいろな本を手に取ることができます。
先日も「プロテスタントの教会がカルト化したという実例本はありますか? 統一教会やエホバの証人がどうのこうのとかではなくて……」と、かなり切羽詰まった様子で店に駆け込んできたお客様がありました。そのご要望にぴたっとはまる本はありませんでしたが、ヒントになりそうな本を紹介することはできました。
さて社会福祉法人には、「現況報告」といって、ネット上に法人の情報を公開し、社会に向けての透明性を担保する義務が課せられています。それから、虐待に関する研修も義務付けられています。だから私たちは、虐待、ハラスメント、人の尊厳について、職員間でたびたび話し合い学び合いますし、うちの法人がどういう理念のもとにどんな活動をしているのか積極的に公開するよう努めています。
社会福祉の仕事を通して、私はふと、宗教法人にも虐待研修を義務付けたらどうだろうかと思ったりします。そのうえで研修報告書を公表し、社会通念上の「虐待・ハラスメント・人の尊厳」の基準の前に晒してみるのです。宗教が胡散臭い目で見られがちな今、教会の「虐待研修報告」を読めば、その教会が社会的に健全な組織かどうかがある程度判断できて、社会的信用にもつながり、クリスチャンもクリスチャンでない人も、安心してその教会に足を踏み入れることができるのではないかと、やや妄想的に考えているのですが、できれば現実になってほしいなあ、と思います。
虐待は、権威主義的な空気の中で起きることが多く、そういう意味で、人間を超えた存在の権威を重視する宗教法人は、社会福祉法人以上に危険と隣り合わせだと言えます。「神の権威を委ねられた聖職者」という肩書を身につければ、どんなことでもまかり通ってしまう危険をはらんでいるからです。「うちは神に忠実に従っている教会だから、虐待なんか起きるはずがない」という教会が、一番危ないような気がします。その理屈自体が権威主義的であり、「忠実に従う」の「忠実」が具体的にどういうことなのか? そこに「聖職者」を自認する人の個人的な欲望がまぎれこんでいないか? と、疑問を持つことを許さないからです。
そういう基準で考えるなら、配本で入荷してきた本の中には、棚に並べる時に葛藤を覚えるものもたまにあります。それは聖書解釈や宗教的な主義主張の力点をどこに置くかという基準ではなく、人の尊厳が乱暴に扱われていないか?という基準においてです。
たとえば、「牧師は神によって立てられた特別な存在だから、たとえ間違っていると思っても信徒は黙って従うべきだ。牧師が間違っていたら、神が裁いてくださる」というようなことが書かれた本です。そこには、間違っているとわかっていて従うことを強要される人のたましいの鈍痛、刻まれる深い傷、従うことに慣らされていく人間性の喪失を、薄っぺらく軽んじる、妙に明るい楽観的暴論があるように思うのです。突っ走って失敗する牧師を黙認して神の裁きに委ねる行為も、その行為を強いられることも、裁かれる当事者の牧師も、なんだかとても残酷で恐ろしい。
そんなことを良いことのようにお勧めする本を目の前に、深いため息をつく書店員たちです。