孤独の中の友へ 信じても苦しい人に送る「片道書簡」 7回目 主のほうに向きなおれば…

中村穣(なかむら・じょう)
18歳の時にアメリカへ家出。一人の牧師に拾われ、キリストと出会う。牧師になると決意し、ウェスレー神学大学院を卒業。帰国後、居場所のない青年のための働きを2006年から始める。2014年、飯能の山キリスト教会を立ち上げ、教会カフェを始める。現在、聖望学園、自由学園、JTJ神学校での講座を担当。

皆さんはお元気ですか?
私も何とか生きています。この頃、この手紙を書き進めていくことで、何だか励まされているなぁと感じています。私の弱い部分を受け取ってくださり、非難せずに、じっと待ち望んでくださる皆さんがいてくださること、本当に感謝しています。
今日は、聖霊の働きについて分かち合いたいと思います。

嫌いな人から学ぶ
私が学んでいた学校に嫌いなタイプの教授がいたんです。でも、ただ嫌いというだけではだめだなぁと思って、あるとき、その教授の授業を受けようと決心しました。好きにはなれそうもないので、逆に、とことん彼の授業から学んでやろうと思ったんですね。そうしたら、学校で一番学んだ授業になったのです。何だか神様ってすごいなぁと思いました。だってですね、今でも私は嫌いなんですよ。でも、ものすごく尊敬しているのです。このことで教えられたのは、自分の好き嫌いなんて何のバロメーターにもならないんだなぁということでした。好きだからって理由にならないんですよね、実際。

悔い改めに導く聖霊
これは、私が聖霊に導いてくださいといつも祈る時に思い起こす話です。ある先生が日曜日にゲストで呼ばれて違う教会で奉仕をしている時に、自分の教会の役員さんから電話を受けました。役員会で意見が二つに割れて、喧嘩となり、教会が分裂してしまいそうだと言うのです。先生は、まずはその人を落ち着かせて、こう言ったそうです。
「会議は今すぐ解散させて、来週までみんながそれぞれこのことについて祈ってくるように伝えなさい。そしてまた来週話し合おう。」
電話口の彼は納得していない感じでしたが、その時はそれで収まったそうです。次の日曜日にみんなで集まり、話し合いが始まりました。それでも答えは見えません。先生は、また来週まで祈って決めようと言ったそうです。役員の中には、もう締め切りが迫っていて、祈っている場合ではなく、一刻も早く決めないとだめだと言う人もいたそうですが、先生は「ただ祈ってきなさい」と言い返しました。
それから一週間後、また会議に集まりました。その時に、一人の人が涙を流して悔い改めたそうです。「私は今まで、自分の意見を通そうとしか考えていなかった。相手が悪いと思って、人を裁いていた。昨日の晩に祈っている時にイエス様が私を求めなさいと言って、そばに来て、私を抱きしめてくれました。そうしたら涙が止まらなかった」と。
そして彼は「そうだ、自分の意見を通そうとしてばかりではだめだ。みんなで神様の思いを受け取らなくてはと思った」と言うのです。そうしたら、隣にいる人も同じような体験をしていて、涙を流して悔い改めたそうです。
そこで、奇跡が起きました。絶対に相容れないと思っていた役員たちがみんなで一つとなり、神様に感謝の祈りをささげたというのです。

聖霊による自由
さて、どんな意見にまとまったかというと、両方が最善だと思っていたものではなく、全く違った答えになったそうです。彼らは会議をする時に、最初にちょっと祈ってから、思っていることを話していたことを悔い改めました。自分の意見は神様により頼んで得たものではなく、自分の都合で計算して、これが最善だと思い込んで握りしめていたものだった。両者がそう思い、すべてを手放した時に、神様の思いを受け取ることができたというのです。
これを聞いて、私はなんか感動したんですね。聖霊は私たちを自分の握りしめているものから解放するんだと思ったのです。そこにこそ自由があり、互いに助け合うという生き方があるように思いました。
私が祈る時、自分は準備をたくさんし、祈りもしましたので、自分の計画が成功するようにしてください、と自分の思いを祈っていたように思います。そこには聖霊が働く隙間がないですよね。「私は自分のできることはやりました。後はすべてをあなたにお任せします」と手を広げ、自由に聖霊に導かれていきたいと思うのです。

※今回の連載の内容をさらに詳しく知りたい方は、YouTubeチャンネル「飯能の山キリスト教会」から、ロングバージョンのメッセージを聞くことができます。
 https://www.youtube.com/@nogarenomachi