書評books 福島原発事故で見えた閉塞日本 「公共神学」に克服の鍵

足利大学 名誉教授 牛山 泉

 

『閉塞日本を変えるキリスト教 公共神学の提唱』
稲垣久和/水山裕文 共著

四六判 192頁
定価1,760円(税込)
いのちのことば社

 

本書は、東京電力・福島第一原子力発電所の事故により明らかになった日本社会の構造的な問題を、神学的課題としてとらえる「公共神学」の視点を提示している。
日本のクリスチャンは、ともすれば霊肉二元論的に現世のことは軽視し、個人の魂の救済に目を向けてきた。これに対し、核物理学を専攻された稲垣博士は、個人の罪の贖いのみならず、共同体の罪と悪の回復を語るのが共通恩恵の神学であり、人間という被造物には神の栄光を表す文明を導く原動力が与えられたにもかかわらず、核エネルギー解放の時代に至って構造的な悪が自らを滅ぼす兆候が見えてきたと指摘する。それを克服するには脱原発に加え、クリーンエネルギー革命と、利害関係者、特に政治家のモラルが不可欠であり「人の心のガバナンス革新」が公共神学の出発点になるという。
また、連続起業家という異色の経歴を持つ水山氏は、具体的な事例を紹介しつつ、世の頭はイエス・キリストであることを再確認し、まず制度的教会をきちんと確立すること。その上で、クリスチャンが日々遣わされている各家庭、地域、職場、さらにそこから広がるノンクリスチャンを含む私たちの生活しているコミュニティを有機体的教会と呼び、これによって神の国を作り出してゆこうと呼びかける。これは神学的概念であると同時に、聖書からヒントを得た社会学的概念でもあるという。
歴史の転換期にあって、輪廻転生の世界観に支配され、終末という発想がなく、何事にも原理原則のない日本において、終わりを見すえた緊張感を持ち、規範性ある世界観を提供できるのは聖書的キリスト教のみだと著者は主張する。そして、だからこそ、「公共神学」が提唱されるのであると、クリスチャンに使命の覚醒を迫っている。黙示録七章にあるように、神の民があらゆる諸国民から贖われたのは、あらゆる諸国民に預言者的証しをするためである。神学とは無縁であった私自身も、このことを再確認させられ信仰を新たにすることができたのは、感謝であった。