特集 今秋に出版される話題の祈りの本

『サークル・メーカー』に学ぶ祈りの力

日本同盟基督教団・土浦めぐみ教会 牧師  洪 豊和

祈りが〝信実〟かどうかは、祈りの声を聞けばわかってしまうのかもしれません。その祈りに、主なる神様のご臨在を感じるかどうかは、祈り手がふだんからどれほどに主を信じ、どれほどに主のみことばを依り頼みつつ食し、そしてどれほどに祈っているのかにかかっていることでしょう。ゆえに祈りは、信仰のバロメーターのようだとも言えるでしょう。

紀元前一世紀のエルサレムに実在した祈りの人ホニの祈りは、人々が震え上がるほどの権威に満ちていました。その祈る声に人々は、神が生きておられ、聞いておられ、見ておられ、視線を離すことなく気にかけてくださっていることを感じずにはいられませんでした。世的な地位や富や権力を手にしていたからその祈りに権威があったのではなく、祈りを聞いてくださる神を確固たる信仰を持って信じていたために表れた、霊的権威でした。モーセの祈りが、エリヤの祈りが、ダニエルの祈りが、自分とはかけ離れた信仰の偉人による祈りではなく、自分自身の祈りにもなると信じ、どんな時にも確信をもって祈る。そんな祈り手が、ホニでした。

その二千年以上も昔の一人の伝説の祈り手の祈りと、その祈る声と、祈る姿勢に心震わされ、現代においてホニのように祈ることを示された一人の牧師の躍動感あふれる祈りの証しが、『サークル・メーカー―最後まで祈り抜く人が見る奇跡』です。その内容は、正直で、開けっぴろげで、包み隠さない気持ちの良さと爽やかさにあふれています。なぜこんなにも信仰的な清々しさを感じるのかと考えてみますと、祈りを通して出会う主なる神様との臨場感あふれる関係が、生々しい実生活に生き生きと表れる実話に満ちているからだと思います。著者のマーク・バターソン師は、ホニのようなサークル・メーカーとして生きることに、牧師としてのみならず、一介のクリスチャンとして使命を感じ、実践してきました。そして、その祈りの円は、彼にのみ留まることなく、水上の波紋のように広がっていきました。

「サークル・メーカー」と呼ばれた神の人ホニが、なぜそう呼ばれるようになったのかは、直接本を手に取って読み、知ってほしいと思います。また、バターソン師が、ホニのように生きたいと願ったその思いを、同じように感じていただきたいと思います。そうして、神の御旨にかなう事の起こりは、一つの祈りから始まることを知ってください。祈ることの信実さを覚え、祈らずにはいられない衝動を感じ、祈りを待っておられる主なる神様を見つめ、言葉としてまたは言葉にならないうめきのような祈りが口を突いて出る、聖霊の導きによる信仰体験をしていただきたいと思います。さらに、祈るためには、神の言葉である聖書を読み、その言葉を食し、蓄え、真正面に向き合わなければならないという、みことばに対する聖なる欲求も同時に感じていただければと思います。

私自身、『サークル・メーカー』をフラー神学校留学中にメンターの牧師から紹介していただき、読む機会に与りました。留学を終え、再び日本の牧会現場へと導き出され、悩みながら、奮闘しながら、何度も倒れ、起き上がる力がないと感じるような日々の中で、『サークル・メーカー』の原書を足りない英語力をもって辞書を片手に、一語一句理解しようと丁寧に読み進めていきました。すると、一段落読むごとに霊的感動があり、その内容があまりに豊かで、祈らずにはいられない衝動に駆られ、涙ながらに祈らされました。ホニの祈りに心が震え、バターソン師の悩みと信仰的葛藤が我がもののように感じ、「私もサークル・メーカーとして生きたい」と思わされました。そして、つたない言葉、言葉にならない祈り心であっても、主をのみ信じ、信頼し、期待していくという、信仰における最も基本的なことを教えられました。

祈るという最も泥臭く、不器用で、やぼったく見えてしまう信仰行為こそ、信仰において至極大事なことであり、泥臭く、不器用で、やぼったいような一歩だとしても、確実に歩みを進めることのできる一歩へと誘う力が祈りであることを、事新たに教えられました。そして、かつて、「向こう見ずな祈り手として生きたい」と思っていたことを思い出させていただきました。

実際に本を手に取り読み進めていただいた時、もしかすると、「この本は、自分の願いをかなえることを祈りだと言っているのか? ご利益信仰的な祈りを勧めているのか?」というような疑問が生じるかもしれませんが、途中でやめることなく読み進めてください。すぐに、決してご利益信仰を勧めているのではないことに気づくことでしょう。

むしろ、「これほど純粋に祈ったことがあるだろうか? これほど主を信頼し切って祈ったことがあるだろうか?」という、自らを吟味する自問へと変わることでしょう。祈りは、神の願いが私の願いになり、私の願いがより神の願いへと近づき、やがて重なり合っていくことなのだと知るでしょう。「キリストの心が私の心となり、私の心がキリストの心となる」ために必要な信仰的必須項目が祈りであることに気づかされることでしょう。「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられる」(ガラテヤ二・二〇)という使徒パウロの告白が、読者の告白になるために必要な行為、それが祈りであることに必ずや気づかされることでしょう。

しかるべき人に、しかるべき方法で、しかるべき時に、一人でも多くの日本の読者にこの本が届けられることを願ってやみません。そして、現代日本におけるサークル・メーカーを今か今かと待ち望んでおられる主なる神様の心を知り、祈りの円を描き続ける人々が起こされることのために、この本が用いられることを願ってやみません。

11月発売
『サークル・メーカー
最後まで祈り抜く人が見る奇跡』
マーク・バターソン 著
四六判 定価2,200円(税込)

祈りとは、自分が本当に望んでいるものは何か、神があなたに得させたいと願っていることは何かを知るところから始まる。中間時代を生きたホニという伝説の祈りの勇者に学ぶ、人生を変える祈りの秘訣。

 

「祈り」についての関連書籍


『ふり返る祈り
 神に問い 耳を澄ませる』

時に嘆き、時に文句を言い、時に懇願する。祈りの言葉には、そう祈らざるをえない自分と向き合い、自分の真相・深層に気づかせてくれる何かがある。臨床牧会カウンセラーの著者が、自らの心と向き合いながら紡ぎだした黙想的エッセー。
斎藤善樹 著
B6判 定価1,320円(税込)

 


『改訂新版 「祈りは初めて」
  という人のための本』

「キリスト者にとって、祈りは基本」と言われるが、そもそも祈りとは何なのか。祈る対象はだれか。また何を祈るべきか。聖書の教えにそってていねいに説明する。話題のシリーズの改訂版。
内田和彦 著
B6変型判 定価550円(税込)