スピリチュアル・ジャーニー その後 ~真の人間性の回復へのプロセス~ 最終回 旅の中の出会いから学ぶ⑧ 再びスイスへ

坂野慧吉(さかの・けいきち)
1941年、東京都生まれ。その後、北海道に移住。福島高校、東京大学卒業。大学生時代にクリスチャンとなり、卒業後、聖書神学舎(現・聖書宣教会)に入学。その後、キリスト者学生会(KGK)の主事を経て、1971年より浦和福音自由教会牧師。

 

オランダから列車でパリに行き、美術館をはじめ、パリの街を観光し、パリ日本語キリスト教会で説教する機会が与えられた。その後、空路スイスのチューリヒに向かった。

チューリヒ中央駅の近くの美術館では、イエス・キリストに関する特別展があり、中世の絵画に描かれたキリスト像、宗教改革期のキリスト像、近世のキリスト像、そして二〇世紀のキリスト像をじっくりと見る機会となった。時代と国と文化と個人の個性によって、イエス・キリストの捉え方が違う。もちろん、聖書は同じであるが、聖書をどう読むか、イエス・キリストをどのようにイメージするかによって、イエス・キリスト像は変わってくるのである。

一九九三年にフランスのストラスブールの南にあるコルマールのウンターリンデン美術館を訪れ、マティアス・グリューネヴァルトが描いた「イーゼンハイムの祭壇画」のキリストを見たことがある。この絵は一六世紀に描かれたもので、キリストは十字架につけられ、極度の苦しみの表情を浮かべ、その肌は疫病で醜く、惨たらしいものである。かなりリアルなキリストが描かれている。

それに対して、チューリヒのフラウミュンスター(聖母聖堂)の会堂前面にある、シャガールのステンドグラスのイエス・キリストは、明るく、微笑みさえ浮かべているようで、「復活したキリストが十字架にかかっているのではないか」と思わされるのである。

浦和福音自由教会の礼拝堂の前面にあるステンドグラスの「十字架」は、背後からの光に照らされて明るく輝いている。キリストが十字架で受けた「傷」のシンボルが両手、両足、脇腹の個所にある。「キリストの受難の苦しみ」と「キリストの復活の栄光」を表している。

チューリヒでの日々を過ごして、私は再び電車でラサを訪れた。ハンス・ビュルキ先生、アゴ夫人が導いてくださる「日本人のためのライフ・リビジョン・セミナー」に参加するためである。ラサに着くと先生ご夫妻と通訳をしてくれる大田和功一・塩子ご夫妻そして、生島先生ご夫妻をはじめ日本人の参加者が、笑顔で迎えてくださった。多くの牧師や牧師夫人、信徒の方々が参加しておられた。

ハンスが私に「Where is your wife?(あなたの奥さんはどこにいますか?)」と質問してきたので、「用事があって、日本にいます」と答えると、一緒にいたアゴさんが「信じられない」と驚いていた。私は少し反省して、「一緒に来られればよかった」と思った。夕食の後、塩子さんが私に「先日、聰子さん(私の妻)と姫巡りというツアーで、長野に一緒に行ってとても楽しかった」と嬉しそうに話してくださった。私はそれを聞いて、とても嬉しい気持ちになった。

日本人のためのセミナーは、二〇〇一年九月下旬に約十日間行われた。最初の日、ハンスが導いてくれたのは、十分間の「静まり」と一日の「振り返り」と分かち合いであった。その後、ハンスは詩篇一〇三篇を朗読し、「わがたましいよ 主をほめたたえよ。/主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(二節)というみことばから、「remember」(忘れるな)ということを説き明かされた。「あなたの罪を赦された主」「あなたを癒やされる主」「あなたを贖われる主」「あなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせる主」「あなたの一生を良いもので満ち足らせる主」をrememberしなさい。そしてさらに、「Remember Godʼs story in you.(あなたのうちにある神の物語を忘れるな)」そして「Remember your story before God.(神の御前にある、あなたの物語を覚えていなさい)」と語り、その日の短いセッションを終えられて、私に「主にあって、お休みなさい」と言ってくださった。

日本人のためのセミナーについては、別の機会に書かせていただきたいと願っている。六月に開催された英語でのセミナーと同じようなところもあったが、私が気づかされたこと、教えられたことは違っていた。

九月末、日本人のためのセミナーを終えて、チューリヒ中央駅で日本人参加者一行を見送ったあと、私はハンスとともにホームまで行き、電車に乗った彼を見送った。この日本人のためのセミナーが、ハンス・ビュルキ先生の生涯の最後のセミナーとなった。

その翌年二〇〇二年に、このセミナーにご夫妻で参加された松木祐三先生、そしてCLSK(クリスチャンライフ成長研究会)を共に担ってきた片岡伸光先生、そしてハンス・ビュルキ先生を天にお送りすることになった。そして大田和功一先生がその後バトンを継いで、ラサで「ライフ・リヴィジョン・セミナー」を導いてくださった。