わがたましいよ 主をほめたたえよ! 5 新しい賛美を多くの人に! ――わかりやすい歌詞と賛美のもつ豊かな可能性

Praise the LORD, O my soul
編集部

 「ワーシップ、聖歌、讃美歌、そんな分類はあまり意味がないのではないでしょうか。神さまを讃える同じ賛美なのですから。」
 そう語るのは神奈川県川崎市の単立 神木イエス・キリスト教会の三谷和司牧師。都心から離れた静かな住宅地にあり、比較的若者の多い賛美のとてもさかんな教会だ。

 同教会の賛美グループ、ノアは、時代にあった、また日本人が歌いやすい賛美を目指して、多くのオリジナルの賛美をCD、テープを通して発表してきた。「もうふりむかない」「フリー」など全国の教会で歌われている曲も少なくない。それらの曲はすべて個人名ではなく、ノアという名前で発表している。

 「作った曲がたくさんの人に歌われ、恵まれてほしいと願っていましたが、作詞、作曲者名をつけて発表することは、牧会上よくないと考え、便宜的にノアという名称を使いました。」そしてそれが賛美グループとして知られるようになった。メンバーは主に礼拝賛美の奏楽奉仕者で構成されている。

 さてその礼拝賛美である。途切れることのない一つの流れの中で賛美を中心に礼拝プログラムが進行していく。元気のいい力強い賛美から静かな賛美へ、メッセージをはさみ、また徐々に元気な賛美へ。この日ソングリーダーを務めたのは三谷師。賛美の合間にみことばを語りながら、ときに力強く、ときに静かに導く。ギター、キーボードをはじめとする各々の奏楽者の息はぴったりだ。この賛美を通して会衆一人一人の心は、様々な思いから解放され、神さまの方へと向けられているように感じられた。

 会衆を見渡してみると、手を挙げて賛美している人、立ち上がって歌っている人、手拍子でリズムをとりながら賛美している人と様々だ。スタイルは違っても、神様の愛にふれた感動と救われた喜びを心から表現しているのだ。

 この日の礼拝賛美は数曲の聖歌を除けばすべてオリジナル。現代語訳の非常に親しみやすい歌詞だ。こうした賛美が作られた背景には、教会を訪れる多くの若者に福音をわかりやすく伝えたいという思いとその必要性があった。

 「賛美は教会が建てあげられ、信徒一人一人の信仰的成長のために必要なものです。芸術的価値観、音楽技術という側面ではなく、牧会という視点から考えることが、今後必要ではないでしょうか。」

 また歌詞そのものについても師は次のように考える。

 「歌っている歌詞をよく理解することによって、それを自分の信仰告白として心から賛美できるようになるのではないかと思います。」

 クリスマスの時期、あるテレビ局がゴスペルについて取材にきた。インタビューを受けながら、「あなたは『きよしこの夜』という曲のタイトルの意味を知っていますか?」と逆に質問した。すると相手は返答に困り、ただ苦笑するだけだった。

 「わかりやすい歌詞にすることによって、若者に限らず、多くの人に賛美を通して福音を伝えることがもっとできるようになるのではないでしょうか。意味がわからずにただ歌っているとすれば、それは残念なことです。」福音伝達、これこそが賛美の持つ豊かな可能性の一つだという。

 旧約時代の人物ダビデは神を讃える多くの曲を作った。その歌詞は詩篇などに残っている。しかしそれに合わせて歌ったと思われるメロディはまったく残っていない。このことも歌詞の重要性を示しているのではないだろうか。

 さて、最後に師のユニークな提案を紹介したい。前述のノアが発表したオリジナルの曲はすべてSGM(Sharing Gospel Music)という指定がなされている。これは「賛美の恵みをともにわかちあおう」という思いから、営利ではなく、キリスト教化の目的において使用するならば、媒体・形態を問わず、そして著作権の制約を受けることなく、自由に使用することが許可されるという考え方だ。つまり教会の礼拝やコンサートなどで自由に賛美したり、楽譜をコピーして使ったりすることができるということ。

 「SGMに指定された曲がどんどん増え、もっと自由に賛美できる環境になっていったら本当にすばらしい。」

 三谷師の何よりの願いだ。