335 時代を見る眼「平和をつくる者」として生きる〔2〕お花畑で行こう!

日本ナザレン教団・鹿児島教会 牧師
久保木聡

 

「話し合いで平和がやってくるなんて、頭の中がお花畑の平和ボケが言っていること。ロシアのウクライナ侵攻を見ればわかるだろ!」
そんな声を聞くようになりました。

「剣を取る者はみな剣で滅びます」(マタイ26・52)と主イエスは語ります。新約聖書は、わたしたちが武力によって平和を実現することを推奨していません。

旧約聖書には、確かに神のみむねに従って戦争をしている場面がありますが、実は、軍縮的です。ギデオンは32,000人いた兵を300人にして勝利します(士師7章)。

ゴリヤテを相手に、サウル王は最新鋭の自分の武具をダビデに着けさせようとしますが、ダビデは断り、小石で戦い、勝利します(Ⅰサムエル17章)。はたまた軍馬の増強を望まない表現もあります(申命17・16、イザヤ31・1)。

つまり、旧約聖書における戦争は、武装を減らし、神に頼ることを推奨しているのです。近隣諸国に脅威があるからと、防衛費をアップすることは、新約聖書はおろか、旧約聖書も認めていないことと言えます。

「抑止のために武装が大事」という声を聞きます。しかし、武装しても抑止にならず、ロシアがウクライナに攻め込んだのも事実です。

かつて、テロとの戦いで始めたアフガニスタン戦争ですが、20年続けたのち、米軍がアフガニスタンを撤退すると、敵対していたタリバンによる政権となりました。イラク戦争も戦後処理のずさんさゆえに「イスラム国」を台頭させてしまいました。脅威に対して軍事力を用いることが、はたして効果的なのか? 21世紀の出来事だけでも十分検討できるでしょう。

とはいえ、「平和ボケのお花畑」と揶揄してくる人たちに、上述のことを伝えても、届かない気もしています。彼らは武装を求めるほど不安なのです。安心・安全を切望しています。

武装することには同意できませんが、安心・安全を求める気持ちには共感できます。できることなら、その人の友となり、その不安に寄り添い、身近なささやかなことにでも安心・安全を感じられるように貢献できたらと願います。

そんな中でこちらの思いに耳を傾けてくださる日も来るでしょう。それが、わたしなりの花の植えつけです。そうやって、お花畑を広げていけたらと思うのです。