神さま、 なんで?〜病院の子どもたちと過ごす日々〜 第八回「H君のこころはH君のものだから」

久保のどか
広島県瀬戸内の「のどか」な島で育ち、大学時代に神さまと出会う。卒業後、ニュージーランドにて神学と伝道を学ぶ。2006年より淀川キリスト教病院チャプレン室で、2020年より同病院医事部で、小児病棟の子どもたちのパストラルケアに携わる。2012年に開設された「こどもホスピス」でも、子どもたちのたましいに関わり、現在に至る。

「出会いは必ず人のこころに足跡を残す」
以前、チャプレンからそう教えていただきました。本当にそうだなと思います。病院で出会う子どもたち一人ひとりとの出会いを通して、私は神さまのまなざしや神さまのこころを教えていただいているように感じています。子どもたちとの出会いは、神さまを信じる私の「生きる」に大きな影響を与えてくれていると思っています。Hちゃんとの出会いも、私のこころに大きな足跡を残した忘れられない出会いです。

Hちゃんとは、主治医のドクターから紹介されて出会いました。人工呼吸器を付けており、自分で思うように体を動かしたり、お話ししたりすることはできません。Hちゃんは、私たちが見たり、聞いたり、考えたりしている日々の世界とは違う特別な世界を生きているのかもしれないなと思いながら、私はそのベッドサイドをお訪ねし、一緒に時間を過ごし始めました。Hちゃんとは、こどもバイブルを少しずつ読み、お祈りをするのが日課となりました。一緒に過ごすなかで、Hちゃんがどんなふうに感じながら、どんなことを思いながら過ごしているのだろうか、Hちゃんの生きる世界はどんなだろうかと考えました。少しでもそのこころが知りたいと思いながら、何かができるわけではない自分がどのように関わればよいのか悩む日々でした。

Hちゃんのベッドサイドには、毎週支援学校の担任の先生が来て授業をしてくださいました。私は、邪魔にならないように授業を見学させてほしいとお願いをし、授業中の様子や先生の関わりを見せていただきました。Hちゃんの様子は活き活きとしていましたし、先生とのやりとりを見ていると、Hちゃんのこころの動きがこちらにも伝わってくるようでした。Hちゃんが実は自分のことが大好きだということや、何にでも積極的に取り組むのが好きだということ、とても頑張り屋だということなどを、少しずつ担任の先生から教えていただきました。

授業は毎回とても楽しい時間で、Hちゃんを囲んで担任の先生と一緒に大笑いすることもしばしばでした。

あるとき、担任の先生に私がずっと思ってきたことを打ち明けてみました。「私はHちゃんのこころを少しでも理解したい、寄り添いたいと思うのですが、どうしたらもっとHちゃんのこころを知ることができるのでしょうか」と。すると先生はこう言ってくださいました。

「HちゃんのこころはHちゃんのものです。だれにもわかりませんよ。でも、想像しながら関わることはできるし、それでいいんですよ。Hちゃんは今こう思っているかな? もしかしたらこんな気持ちかな? って想像しながら話しかけて関わればいいんですよ。Hちゃんは自分にこころを向けて関わってくれる人がいることを感じ取ると思うし、関わりの中で久保さんとHちゃんの交流を二人で築いていけばいいのです。それが大切なんです」と。

この先生の言葉に私は救われたように感じました。人のこころはその人のもの、そのとおりだと思いました。言葉でコミュニケーションを取るときにも相手の気持ちをすべて理解することはできませんし、さらに言えば、自分のこころであっても、その深みまで理解することは難しいのです。私たちのこころを知り、すべて受けとめてくださるのは神さまです。

そのことに気づかせてくれた先生の言葉でした。神さまがHちゃんのこころをその深みまで知って、つらい気持ちも、嬉しい気持ちも、涙もちゃんと受けとめていてくださる、そのことをあらためて思い起こし、本当に安心しました。

このときの先生との会話をきっかけに、Hちゃんと一緒に過ごす時間がより楽しみになりました。一方的に私がお話ししているのではなく、Hちゃんとこころのやりとりをしているような感覚で過ごせるようになりました。Hちゃんのベッドサイドを訪問しているうちに、同室のお子さんたちのお母さん方ともお話しする機会が増えていきました。そのような交流もHちゃんが築いてくれたものです。

Hちゃんは他の施設へと引っ越していきました。子どもたちのこころのすべてを理解することはできなくても、その気持ちを想像しながら私たちのこころを寄せていく、それは神さまへの祈りに繋がっているのだと思います。そのことをHちゃんとの出会いを通して教えられました。

 

「主よ あなたは私を探り 知っておられます。
あなたは 私の座るのも立つのも知っておられ
遠くから私の思いを読み取られます。……
ことばが私の舌にのぼる前に なんと主よ
あなたはそのすべてを知っておられます。」
(詩篇一三九篇一~二、四節)