特集 戦争と平和 ~ウクライナへの祈り~ 日本のキリスト教会と戦争責任 新刊『BC級戦犯にされたキリスト者』より抜粋

東京農業大学教授  小塩海平

二〇二二年八月で、終戦から七十七年目を迎える。第二次世界大戦下の日本で、キリスト教会がどのように戦中を生きたのか、今を生きる私たちが知るべき内容を記した新刊『BC級戦犯にされたキリスト者』が今夏出版される。

戦争が、もはや「過去のこと」ではなく、「日常」になりつつある現代で、あらためて教会の「戦争責任」を知ること、当時のことを知ることがなぜ必要なのかを考える上で重要な一冊である。
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日本におけるプロテスタント教会の福音宣教の歴史を顧みるとき、大日本帝国による植民地支配や太平洋戦争に加担した事実を、私たちは忘れてはならないだろう。このことに関して、各派の教会において戦争罪責告白が表明され、現地の教会との交流も進められてきたことは事実である。しかし、教会は過去を正確に、また十全な形で掘り起こし、悔い改めにふさわしい実を結んだといえるであろうか。
(中略)
一九四一年、カトリックから十四名、プロテスタントから十二名が「宣撫工作班」〔注・宣撫工作=軍隊占領地において、被占領地住民が敵対せずに協力するよう懐柔する行為〕としてフィリピンに派遣されたという明白な証拠が残されている(寺内勇文「日本占領下フィリピンのプロテスタント教会―日本の対比宗教政策との関連で」『キリスト教と歴史』所収、新教出版社、一九九七年)。これらの宣撫工作班員たちの中には、戦後、牧師職を全うした人もある一方で、戦犯裁判をとおして日本の戦争罪責を担わされ、教職に復帰しなかった者もある。

本書では、日本神学校在籍中に宣撫工作員としてフィリピンに派遣され、サンパブロ事件に対する容疑によってBC級戦犯となり、重労働三十年の刑を言い渡され、スガモプリズンに服役した中田善秋に注目しながら、主として日本のプロテスタント教会における宣撫工作の一端を明らかにし、戦後の教会がこの問題に無関心であり続けた事実を見つめてみたい。

じつは、直木賞作家の深田祐介が一九八二年に中田善秋を主人公とした「虐殺」を『別冊 文藝春秋』(一六一特別号)に発表しており、プロテスタント教界の外には、彼に注目する知識人もいたのである。

中田善秋は、スガモプリズンにおいて、「信友」という同人誌をはじめとする膨大な著作を残しているが、その内容に関しては、これまでほとんど知られてこなかった。しかし、当人から依頼されて、これらの著作を保管してきた内海愛子を中心に「中田善秋研究会」が立ち上げられ、キリスト者の中にも徐々に関心が拡がり始めた。二〇二二年には、不二出版から「信友」が復刻されるなど、中田善秋をとおして、あらためて日本のキリスト教会の宣教について、その意義の問い直しが進められている。

私自身、中田善秋の生きた証しと膨大な著作に魅了され、自らの信仰を正されると同時に、志を同じくする他のキリスト者たちにも、中田善秋からともに学んでもらいたいと考えるようになった。
(本文「はじめに」より)

 

読者のみなさまへ   著者・小塩海平氏より
今年も終戦記念日を迎えようとしている。ウクライナでは戦闘が行われ、アフガニスタンやミャンマーをはじめ、いくつもの国や地域で、武力行使を伴う苛斂誅求な政治が行われている。他方、日本国内でも、いよいよ敵基地攻撃能力に関する議論が国会でも行われるようになってきた。戦後77年間、日本のキリスト教会はいったい何をしていたのだろうか。

本書では、神学校在学中にプロテスタントの宣撫工作班員としてフィリピンに派遣され、700人以上が虐殺された「サンパブロ教会事件」に巻き込まれてBC級戦犯にさせられた中田善秋に焦点を当て、福音宣教と宣撫工作について掘り下げてみた。彼は、日本国の戦争責任そして日本のプロテスタント教会の戦争責任を負わされて戦犯となったが、戦後、彼を支えたのは、十字架につけられた主イエス・キリストご自身であって既存の教会ではなかった。自らの罪を問いつつ、平和と和解のために発信し続けた中田善秋から学ぶべきことは実に多い。