泣き笑いエッセイ コッチュだね! みことば編 最終回 面倒くさい?

朴栄子 著

「わがたましいよ 主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103・2)

去る十月十日、わたしたちの教会の創立四十周年を祝いました。準備のため古いアルバムを開きながら、過ぎし日々の恵みを思い起こしていました。

開拓当初は借家住まいで、日曜日になると、讃美歌や折り畳み式講壇を車に詰め込んでの移動教会。アボジとオモニが祈りながら百か所近くを見て回って、現在の土地建物を購入したのが、四年目のことです。

古い木造家屋の二階に牧師家族が住み、礼拝は一階の六畳と四畳半の和室で。家族と数名の信徒以外に最初に加わったのは、韓国から来た企業駐在員の家族でした。教会学校を始め、勉強を教えると、母子が何組も来るようになりました。狭い建物は人でひしめき、まるで「サザエさん」ちのよう。感謝節やクリスマスには、公民館を借りて盛大な宴。ニンニク臭がすごい、と叱られたことも度々でした。

十年目にはリノベーションをして、二階を礼拝堂に。五十名ほどが集うまでになっていました。世代ごとの活動もさかんで、活気に満ちていました。ところが数年後、牧師に反発して半数以上の信徒が出て行くつらい出来事が起こりました。それからは「老々介護」だと笑いながら、アボジとオモニが力を合わせて、ひとり暮らしの高齢者に寄り添い、信仰生活をともにしました。

その頃わたしは神学校を卒業して、ある大きな教会のスタッフとして働いていました。やりがいのある奉仕でしたが、アボジとともに在日教会で働くことの意義に気づいて母教会に戻りました。まさか按手を受ける年に、主任牧師が召天してしまうとは想像もできませんでした。

ダビデの生涯を思います。華やかな時もありましたが、誤解され、いのちを狙われ、身内に裏切られ、つらいことも多かった。恥ずべき失敗で、子どもを喪うという痛みも経験しました。けれども、振り返るなら、すべて神さまの恵みなのです。この方に栄光をお返しするために、ダビデは賛美の詩を数多く綴りました。

神さまがしてくださった良いことを数えるなら、いくら挙げても足りません。

人間の能力は限られています。脳をフル回転しているつもりでも、実際に使っているのは一〇%以下だと言われます。わたしが考えたり計画したりすることは、本当にちっぽけなものばかり。けれども創造主である神さまが一人ひとりの人生に、またそれぞれの教会に、描いてくださっている青写真は、どれほど精密で手の込んだものなのでしょう。

どん底にまで落ち込んで、聖書が無味乾燥に思えたとき、こんなふうに祈りました。
「神さま、あなたはどこにいらっしゃるのですか」
幼い頃から、神さまの存在を疑ったことは、一度もありません。けれどもその頃は、はるか彼方の天の上の上におられて遠いなあと感じたのです。

そんなうめきのような祈りであっても、耳を傾けていてくださったのです。時間はかかりましたが、みことばや人との交わり、さまざまな機会を通して、滞っていた神さまの愛がどっと流れ込んできました。

祈りの応えは確かにありました。神さまは、わたしの手を引き、声をかけ、よろける足をがっちり支えていてくださったのです。一対一で向き合って、父と子、母と子、あるいは友のような親密な関わりをもちたいと待っておられたのです。

最近、若い頃に神学校で聞いた話を思い出しました。それは、神さまは一体なぜ、この世界を創造され、人間を造られたのかという質問から始まります。

神さまは退屈だったのか。暇を持て余しておられたのか。そんなことはない。ご自身だけで充足しておられて、何も不足されない方だ。それをあえて、世界と人間を造られたのは、交わりを欲しておられたからだ、という講義でした。

わたしたちはすぐ、「面倒くさい」と言ってしまいます。しかし、考えてみれば、人間ほど面倒くさい存在はありません。すぐにすねるし、怒るし、裏切るし、泣くし、わめくし、疑うし、トラブルばっかり起こして、手のかかることこのうえない。そんな人間をお造りになったのです。
赤ちゃんを世話することを考えれば、すべてが面倒くさいことの連続です。オモニの介護もかつては苦痛でしたが、今は喜びと楽しみです。愛があれば、手のかかることもいとわないのです。
これからも受けた恵みを忘れないように、日々数えながら、精いっぱい伝えていきたいと思います。
二年間、応援してくださりありがとうございました。

在日大韓基督教会・豊中第一復興教会担任牧師。1964年長崎市生まれの在日コリアン3世。
大学卒業後、キリスト教雑誌の編集に携わる。神学修士課程を修了後、2006年より現職。
★オモニの動画→YouTube「タミちゃんねる」で検索 ★「愛の家」ainoie.org

*「コッチュ」は韓国語の「唐辛子」のこと。小さくてもピリリとしたいとの願いを込めて、「からし種」とかけています。