スピリチュアル・ジャーニー その後 ~真の人間性の回復へのプロセス~ 第四回 自分の人生から学ぶ②

坂野慧吉(さかの・けいきち)
1941年、東京都生まれ。その後、北海道に移住。福島高校、東京大学卒業。大学生時代にクリスチャンとなり、卒業後、聖書神学舎(現・聖書宣教会)に入学。その後、キリスト者学生会(KGK)の主事を経て、1971年より浦和福音自由教会牧師。

 

最初の七年間の思い出(札幌から追分へ)

その後、札幌で同居していた父の弟が病気になり、亡くなった。父は長男で、家を継ぐことをその弟と約束していたので、また追分の実家に帰った。実家には祖父と祖母、父の兄弟姉妹たちと私たちの家族、父のすぐ下の弟家族が同居していたので、十数人の大家族であった。

祖父は木炭業を営んでおり、父と次弟もそれを手伝っていたので大変であった。昔のことなので、祖父の権威があり、私や弟たちはしばしば厳しく叱られた。本来はやさしい祖父であったと思うが、大家族をまとめるのは大変であったのだと思う。でもその時に厳しく叱られたことは、私の心に傷を与え、「男の子は泣いてはいけない」と躾けられたので、感情を抑えて生活をしていたことは、後にまで私の生き方に影響を与えることになった。

このような中で、私は小学校に入学した。小学校は坂の上にあり、クラスの写真を見ると、多くの子どもたちは裸足であった。学校は楽しかったし、親友もできた。夏は、家の前の道路で中学生や上級生とともに野球をしたり、その当時流行っていたビー玉、けん玉、メンコなどで遊びに夢中になったりしていた。冬は大雪が降り、雪合戦や橇で坂の上から滑り降りていた。

裏の川の川岸に、おもちゃやお菓子などを売っていたお店があった。ある日のこと、お店からだまって物を盗んでしまったことがあった。どうしても欲しいのに買ってもらえなかったからだったと思う。しかし、母にそのことがばれてしまい、母といっしょにそのお店に行って品物を返し、謝ったことを覚えている。親から善悪の基準を教えられ、また間違ったことをした時には、心から謝ることも教えられた。貴重な体験だったと思う。

家の隣の人はクリスチャンだった(あるいは後にクリスチャンになった)ようであった。後に聞いたことであるが、札幌のホーリネス系の札幌新生教会の伊藤馨牧師が、戦前追分に来てさかんに伝道をし、その時に福音を聞いた人々が多くいた。その伝道者は戦争中投獄され、戦後北海道の各地を巡回してキリストの福音を伝えた。そして伝道旅行の最中に天に召されたとのことである。

今から十数年前、追分にあるウェスレアン・ホーリネスの教会が新会堂を献堂した記念の伝道集会に招かれてご奉仕をしたことがあった。その時、北海道の各地から追分出身のクリスチャンが集った。その中には、私が知っている人もその関係者も数人いた。また、私と私の両親や私の従妹(今は青森で牧師夫人として牧会している)などもその伝道者の祈りと伝道に対する応えなのかもしれないと思う。また、追分小学校の一年上の女性が、後に浦和福音自由教会で洗礼を受けて教会員になったことも、神の不思議なご計画なのだと思う。

父と私のこと

小学校一年生の秋の運動会も忘れられない出来事であった。私が参加した競走では、コースの途中で、たくさん置いてあるカードの中から「み」「ん」「な」の三枚をとって、ゴールするというものであった。私も三枚をとってトップでゴールした。しかし、先生が私のカードが「み」「な」「な」であるのを見て、「失格」と判定した。私は「だれかが自分のカードをとりかえた」と声をあげて泣き叫んだ。

その時、叔父があわてて私を連れ戻しに来て、自分たちの席に連れて行ってくれた。私は泣きながら、「どうして、自分が一番恥ずかしくつらい思いをしている時に、父が来てくれなかったのか」と心の中で恨んでいた。

この出来事は、その後も私のつらい記憶となって心の中に残り続けた。それから六十年経ってから、その理由がわかった。父は二〇〇六年五月に九十一歳で召天した。その一、二年前のこと、私は川越の郊外に住んでいた父を訪問した。ちょうど母が不在で、父と二人で話す機会があった。ふと、運動会の時のことを聞いてみようと思い、「ぼくが一年生の時に、こんなことがあったよね」と話し始めた。

すると父は、「あの時は運動会に行きたかったのだけれども、おじいさんの命令で内地(本州)に出張に行っていたんだよ。お母さんも家の仕事があって、叔父さんが一家を代表して運動会に出席していたんだ」と話し始めた。

「ああ、そうだったんだ。」私の心の中の氷が解け始めた。もっと早く父と話してみたら良かったのではないかと思ったが、やはりそれだけの時間が必要だったのかもしれないと思う。子どもは、親との関係で起こった出来事を自分なりの解釈をして誤解していることがあると思う。そしてその誤解を抱えたまま、心を開けないことがあって、親子の関係が難しくなることが多いのかもしれない。