書評Books 私から始まる信仰ではなく、神から始まる信仰へのパラダイムシフト

上野の森キリスト教会 牧師 重田稔仁

『信じても苦しい人へ 神から始まる「新しい自分」』
中村 穣 著
四六判・定価1,540円(税込)
いのちのことば社

「現代の信仰の問題の一つは、“神を感じないと信仰がない”と判断してしまうことだと感じています」(本文三頁)との著者中村穣さんの率直な意見に、私たちは共感できるか。大多数のクリスチャンは、彼の告白を我がものとして受け止めるのではないか。なぜなら、私たちは著者の指摘にあるように、極端に形而下の世俗的な文化の影響下で、信仰の先達から継承した信仰の本質と内実を見失って、信仰することで傷つき呻いているからだ(七四~七五、一一三頁)。

著者によれば私たちを傷つける“信仰”とは、それは“私”が理解し、私にとって価値あることを真理として信じる“私から始まる信仰”を指す。私たちが私から始まる信仰に生きるかぎり、私たちはこの世で経験する理不尽な苦悩、痛み、虚しさに神の不在を感じ続けざるを得ない。

(神はどうして、私の願いに応えてくださらないのか。)そんな私たち、“信じても苦しみ続けるもの”に向かって著者は“神から始まる信仰”への転換を勧めている。

神から始まる信仰とは、神が私たちに与えてくださる神の真実「神が私を愛し、私を受け入れてくださる」ことを受け取るために「神を待ち望む」信仰を指す。“神から始まる信仰”に生きるとき、人は、人生の暗闇を〈闇を隠れ家とする神の真実の光〉を見いだす場とし、神の不在を連想させる人生の荒野を〈痛む人と共に痛み、悲しむ者とともに悲しむために、この世に生を受け十字架にかかって傷つき死なれたイエス・キリスト〉を見いだす場とさせていただける。

神から始まる信仰に生きるとき、人は「私が神を理解し、大きくなるのではなく、……『私が小さく』なり、神が私の中で王になる」(八頁)と語る著者のことばに、私は深く共感する。なぜなら私の信仰者としての苦悩が、肥大化した自己とそれに伴う自意識過剰に起因していると実感しているからだ。この本には私たちの信仰生活を刷新する洞察が満ちている。ぜひ『信じても苦しい人へ』をお手に取って、一読、通読をお勧めします。