日常の「神学」 今さら聞けないあのこと、このこと 第15回 デボーション

岡村 直樹

横須賀市出身。高校卒業後、米国に留学。トリニティー神学校を卒業し、クレアモント神学大学院で博士号(Ph.D.)を取得。2006年に帰国。現在、東京基督教大学大学院教授、日本福音主義神学会東部部会理事、hi-b-a責任役員、日本同盟基督教団牧師。

 

教会で時々、「デボーション」という言葉を耳にすることがあるかもしれません。英語の辞書には、「献身的愛情」「宗教的情熱」「個人の勤行」「祈り」などとありますが、クリスチャンの間では、朝起きてすぐや、寝る前に聖書を開き、祈り、時には賛美する、ひとりだけの時間を指す言葉として用いられることが一般的です。

聖書の中にも、さまざまな「デボーション」の場面が登場します。特にイエス様は、ことあるごとに「デボーション」を行っておられました。「さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた」(マルコ1・35)。「イエスご自身は寂しいところに退いて祈っておられた」(ルカ5・16)。十字架につけられる直前にも、ゲツセマネで弟子たちから少し離れたところに行き「ひれ伏して祈られた」(マタイ26・39)とあります。

イエス様は神の御子であり神ご自身ですが、地上においては「デボーション」を必要とされました。私たちクリスチャンもまたそれを必要とします。なぜでしょうか?

第一の理由は、私たちの神様が、「愛」なる神様だからです。神様は私たちを愛してくださっています。それは十字架の犠牲をともなうほどの深い、そして完全な愛です。神様はまた、私たちが神様を愛することを望んでおられます。「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(マタイ22・37)。

神様が私たちを愛し、私たちが神様を愛する。これはまさに愛の関係性です。では罪深く、欠けだらけの私たちが、どのようにしたら神様との間に、よりよい愛の関係性を築くことができるでしょうか。

たとえば恋人同士の愛の関係性は、相手を知り、相手と継続してコミュニケーションをとり、親密な関係を持ち続けることによって深まっていくものです。確かに「一目惚れ」もありますが、それは愛の関係性の入り口にすぎません。

神様との愛の関係性も同様です。神様への信仰を告白してクリスチャンとなり、その後は聖書を通して神様の言葉に聞き、祈りを通して神様と話すことによって、神様との親密な関係性を育むのです。「デボーション」とはすなわち、神様との愛の関係を日々深めていく作業なのです。だから「デボーション」はクリスチャンに必要不可欠なのですね。

第二の理由は、私たちの神様が「主」なる神様だからです。神様は全知全能な(すべてをご存じで、何でもおできになる)お方で、人間も含めた全世界を、愛をもって支配しておられます。もちろん主なる神様は、私たち一人一人のこともよくご存じです。

私たちは「何を食べよう?」「何を飲もう?」「何を着よう?」と日々心配します。本来は必要でなかったり、時には、私たちに害を及ぼしたりするものを欲してしまうこともあります。しかし私たちのすべての、また本当の必要を神様はご存じです(マタイ6・31~32)。

そして、もし神様が私たちの「主」であるなら、私たちはその「主」に仕えなくてはなりません。
たとえば私たちが仕事をするとき、そこには必ず仕えるべき相手がいます。それはお客さんだったり、上司だったりしますが、たとえ相手が誰であっても、相手の求めに応えることによって仕事、すなわち「仕える事」は成り立ちます。

相手を無視し、同時に相手に仕えることはできません。神様との関係性も同様です。私たちの神様が私たちの「主」であるなら、そのお方をよく知ることなくして、仕えることはできません。「デボーション」とはすなわち、神様の声とその求めに、日々真摯に耳を傾ける作業なのです。だから「デボーション」はクリスチャンに必要不可欠なのですね。

本来「デボーション」は、「しなくてはならない!」という義務感からではなく、「神様の声を聴きたい!」「神様と話したい!」という心の求めからなされるべきです。

しかし、「デボーション」の良い習慣を身につけるまでは、多少のがんばりは必要かもしれません。牧師が薦めてくださるデボーションガイドを用いるのも良い助けとなります。「デボーション」の中心はみことばと祈りですから、それ以外のこと、たとえば時間や場所は、それぞれの信仰者が決めればよいことです。

しかし、イエス様もしておられたような早朝の「デボーション」はお勧めです。神様の愛に満たされて一日を始めることは本当に幸いであり、充実した毎日の鍵であると思います。「デボーション」は「教会での礼拝」と並んで、すべてのクリスチャンにとって、必要不可欠な信仰の要素と言えるでしょう。