泣き笑いエッセイ コッチュだね! 第7回 ガラガラからキラキラへ

#更年期 #うつ #親の介護 #教会のピンチ #牧師の孤独 #みことばの黙想 #おひとりさま #トンネルを抜ける #オトナの坂道 

朴栄子 著

 

「教会がつぶれるかもしれない」
崖から突き落とされるような、こんなことばを数年前、同時期にふたりから言われました。どちらも善意から、わたしと教会を真剣に思っての発言です。
わたしにとっては青天の霹靂。人数が減ったからといって、そうそうたやすく教会がつぶれるわけはありません。けれども、ことばの力は大きなものです。音をたててガラガラと崩れ落ちる教会のイメージが、脳裏から離れなくなりました。
わたしにとっては「教会がつぶれる」イコール、お前は無能だ、何もできない、恥ずかしい人間だという烙印、呪いのことばとなって響いたのです。

呪縛というと、大半の人にとって、あまり関係のないものに思えるかもしれません。わたしもそうでした。しかし、わたしたちが神の子として輝くことを妨げるものが確かにあるのです。
昨年の春、わたしがうつから解放されるきっかけになったセミナーで学んだことです(気になる方は、四月号を参照してください)。

神さまと人を遠ざけ、サタンの侵入をゆるしてまう扉は、主に四つあります。一つ目は恐れや怒りなどの人に対する否定的な感情、二つ目は地震や病気など特定のものや状況への恐れ、三つ目は罪、最後は偶像崇拝です。否定的な感情の中には、人から言われて心に刺さった否定的なことば、自分が選択して無意識のうちに人生を方向づけてしまうことばも含まれます。すべて受け取る側、決断する側の問題ですが、前者は「呪いのことば」、後者は「内なる誓い」となります。
他者や自分、そして神さまに対する怒りや恐れ、失望や疑いなどに加えて、このような呪縛のことばを手放すことも非常に重要です。

 つぶれるかもと言われて、そんなはずないでしょ! と笑い飛ばせるならなんの傷にもなりません。けれども受け取る側が否定的な感情を持つとき、そこがサタンの働く足場となるのです。
解放されたい、いやされたい、心からの喜びがほしい! その一心で解放の祈り(〝心の断捨離〟)をある牧師にしていただきました。その際「教会がつぶれる」というわたしの呪縛となったことばも放棄して、イエスさまにおゆだねしたのです。
そうするとどうでしょう! 教会の玄関と、道路から入っていく細長い通路がキラキラとまぶしく輝くイメージが、心のキャンバスに広がったのです。

さて、新型肺炎の影響が続く中、久しぶりに教区の先生方と再会し、近況を聞きました。帰り際にひとりの先生が、「これは長引いて一、二年かかるかも。そうなるとつぶれる教会も出てきますよ」と言われました。
そのときです。ふと、次のようなことばが浮かんできたのです。
ええやん、つぶれたって!
教会は建物ではないのです。もしコロナ不況で礼拝堂が維持できないなら手放す。牧師給が払えないなら、外で働きながら自給伝道。自宅を開放して礼拝したっていい。世界は確実に、新しい時代に突入する。だから教会も今までやってきた方法にこだわらなければいいのだ。
そう思ったのです。

今までもボチボチとはやっていましたが、本格的に礼拝のネット配信を開始するようになりました。そこに、メルマガ読者など教会員以外の方々も加わってくださるようになったのです。
つぶれる? いいえ、つぶれません!

真のキリストの身体なる教会であるなら、どんな状況でも決して消滅しません。同じことばを聞いても、それはもう、なんの衝撃も受けることはなく、かえって鼓舞するきっかけとなったのでした。

 

ところでわたしは今、ガーデニングにはまっています。一年ほど前から細長いエントランスの、芝生やお花の手入れにいそしんでいます。気温が上がり空が真っ青に晴れるともう、うずうずしてたまりません。玄関を開け放して、出たり入ったり。道行く人が、きれいですね、精が出ますねと声をかけてくれます。

ポカポカ陽ざしを浴びながら、神さまのあたたかさと恵みの豊かさが身に沁み、胸がいっぱいです。

「あなたの神、主はあなたのために呪いを祝福に変えられた。あなたの神、主はあなたを愛しておられたからである」(申命記二三・五)

在日大韓基督教会・豊中第一復興教会担任牧師。1964年長崎市生まれの在日コリアン3世。
大学卒業後、キリスト教雑誌の編集に携わる。神学修士課程を修了後、2006年より現職。

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