309 時代を見る眼

信仰の明かり窓から主を仰ぐ

日本キリスト教協議会 総幹事 金性済

新型コロナウイルスの嵐が地球規模に広がりつつあります。世界は現在、収束の見通しもつかめないまま、さらに感染がアフリカ大陸やアジアの貧しい国々に広がり、計り知れない打撃を与えていくのではと不安な予測がなされています。

現在、多くのキリスト教会では、信徒の健康と安全、そして、教会自体が地域社会の中で感染源とならないようにと、主日の礼拝堂での礼拝以外の祈祷会や集会、また聖餐式さえ中止する対策が取られています。

隔離・社会的距離・自粛が行政府からも求められるという現実の中で、「エクレシア=呼び集められた者」としての教会がその存在理由の中心としての礼拝をどう守るべきなのかというジレンマに、キリスト教会は直面しています。

この未曾有の現実の中で、私は、創世記の「大洪水とノアの箱舟」の話を思い起こさずにおれないのです。

古代メソポタミア神話ギルガメシュ叙事詩では、大洪水の破滅を免れるために作られた箱舟の扉を最後に人が閉めているのですが、創世記7章16節では、主なる神ご自身が閉めておられるのです。「こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつノアのいる箱舟の中に入った。入ったものは、すべて肉なるものの雄と雌であった。……それから、主は彼のうしろの戸を閉ざされた」(7章15~16節)。

つまり、ノアの使命は最後まで、いのちを呼び集め続けること。さらに注目すべきは、ノアの箱舟には、天井に1キュビト(約45センチ)四方の明かり窓(ツォーハル)が備えられていました(6章16節)。そして、大洪水の中、神は箱舟の中のすべてのいのちを「御心に留め(ザーカル)」(8章1節、新共同訳)ておられたのです。

箱舟の意味とは、大洪水による破滅からの救いの約束と同時に、今、箱舟の外で何が起こり、これからどうなっていくか、箱舟の中のいのちは知ることができないという現実をも暗示しています。
しかし、私たちキリスト者は、その信仰の明かり窓を決して閉ざさずに、ひたすら神に望みを置き、神がみこころにとめておられ、かならずや命の岸辺にたどり着かせてくださることを信じ続ける。その信仰と希望を分かち合う教会の箱舟の扉を決して閉ざしてはならないことを、今日の新型コロナウイルスの洪水の危機の中で聖書に指し示されているのではないでしょうか。